クチバシティに着いたはいいものの、無闇に街中を歩き回っては誰に見つかるか分かったものではない。2日間であれほど多くの敵に出会っているとなれば尚更だ。
 悠たちはクチバ貨物駅を一通り探索して人気(ひとけ)がないことを確認すると、駅の奥に並んでいた貨物の陰で、夜を明かすことにした。
 4人で輪になって座り、あきはばらが運んできた情報を聞くことにする。
 この世界は、ポケモンを愛する人々の「心」が生んだ空間であること。ゴッドフリート率いる『ドリームメーカー』なる集団が、穢れたポケモン世界を粛清するために動いていること。『ポケ書』の住人が『ドリームメーカー』に応戦しているが、多勢に無勢だということ……。
 そして、先ほど駅を探索しているうちに見つけた、ラジオのこと――正確には、そこから流れてきた、『ドリームメーカー』による降伏勧告のこと。
 あきはばらが一通り話し終えると、澪亮が駅の天井を見上げながら言った。
「……この世界に迷い込んでから俺たちを狙ってきやがったあいつらも、ハイムとかいうさっきのカイリューも、『ドリームメーカー』だった……ってことか」
「澪亮さん、ハインツです。――――それじゃ、列車の中にいた僕らを分断したのも……」
 澪亮にツッコミを入れつつ悠がそう言うと、あきはばらは頷いた。
「はい。恐らくは、『ドリームメーカー』の仕業でしょうね」
 その言葉を最後に、4人はしばらくの間無言になる。
 やがて、ひこが零すようにぽつりと呟いた。
「……瑞さん、無事でしょうか……」
 彼女の問いには、誰も答えられなかった。
 再び、沈黙の(とばり)が下りる。

 ――やがて口を開いたのは、澪亮だった。
 僅かに苛立ちの混じる口調で、

「でもさ、本当に『ドリームメーカー』って、『悪者』なのかよ?」

 予想だにしなかった澪亮の言葉に、悠は大きく目を見開いた。
 考える前に、彼の口は反論を紡ぎ出す。
「何言ってるんですか澪亮さん! あいつらは現に何度も僕らに襲い掛かってきましたし、『ポケ書』の住人たちが何人も弾圧されて惨殺されてるんですよ!?」
「確かにそりゃそうだ。けどそれは、『ポケ書』を『有害』と認定したあいつらの勘違いから来てんだろ? 奴らの目的は、有害となるポケモン作品を排除すること――その考え自体に間違いはない。ポケモンを愛しているという一点においては、俺らと奴らに違いもない。もしかしたら、分かりあえるんじゃねぇのか?」
 澪亮の言い分は、正しかった。
 考え込む悠の隣で、ひこが続ける。
「――言われてみれば、『ドリームメーカー』という名前も……直訳すれば『夢の作り手』って、何だか平和的ですね」
 彼女の言葉に、しかしあきはばらは素直には頷けなかった。
「う〜ん、そうなんですけどね……どうもそうじゃないような気が――」
「どっちだよ」
 珍しく煮え切らない反応をするあきはばらの、言葉のその先を促すように、澪亮が言う。
 あきはばらは、頭を掻きながら答えた。
「いえ、すみません。……もしそうだとすれば、とっくに和解しているはずではないかと思うんですよ。彼ら、頭が悪そうな感じではありませんし」
「いや、悪いだろ」
 澪亮は、低レベルな妨害行為に見事に引っかかっていたハインツを思い返していた。
 彼女の反応に対しては苦笑するにとどめ、あきはばらは続ける。
「まあ、『ドリームメーカー』が全く聞く耳を持たずに攻撃を続けている、という可能性もないわけではありませんが。――とにかく、私も色々と探り回ってはみましたが、この世界には不可解なことが多いんです」
 それから、ふうと息をついて、
「もしかしたら、ゴッドフリートの裏に更に黒幕が存在するかも知れませんね」
 ――それは、あまり聞きたくない想定だった。
 3人の表情が沈み始めたのを見たあきはばらは、「まあ、私の想像の域を出ない話ですけどね」と付け加えた。
 それから、こう呟く。
「…………この世界には、辻褄が合わない部分があるんですよ」
 その言葉が何を意味しているのか図りかねて、ひこが首をかしげる。
「辻褄、ですか……私には、辻褄が合わないようには見えないですが……」
「というか、『ポケモンを愛する人の心から出来た世界』という存在自体が不安定っぽいし、揺らぎがありそうな気がします」
 そう言ったのは悠だった。あきはばらは考え込む素振りを見せながら、2人の言葉に耳を傾けている。
 そして澪亮はというと、天井付近をぐるぐると浮遊し始めていた。
「すみませ〜ん、俺には全く理解できないんですけど……」
 素直な彼女の言葉に、あきはばらが笑った。
「ははは、すみません澪亮さん。――色々と話し込んでしまいましたが、まあ極論を言うと私たちは元の世界に戻れさえすればいいんです。この世界の構造など、気にしなくてもいいのかもしれませんね」



 サイモンは倒した。けれど瑞に追いつくことは、叶わなかった。
 悔しいけれど、これ以上追い続けるのは得策ではない。由衣は愛を伴って、ポケモンセンターへと戻ることにした。辿り着く頃にはもう、すっかり夜になっていた。
 無我夢中になっていた由衣が全速力で疾走した距離を、今度は彼女の身体に無理をさせないようにゆっくりと歩いて帰ったのだ。時間がかかって当然かもしれない。
 道中、2人はこれまでの互いの状況を知らせ合った。
 瑞が誘拐されたことを、愛は知らなかったようだ。由衣がその話をすると、愛は驚きを見せた。
「……だから、ああいう状況になってたんですね……」
「そういうこと」
 ポケモンセンターに戻った2人は、取り敢えず223のところへ向かうことにした。これまでのことを報告して、作戦を立て直さなければならない。
 彼の病室へと向かう廊下を歩きながら、由衣が言う。
「……あいつらの目的は、私たち元人間を全滅させること。瑞は、その為に私たちをおびき寄せる格好の餌になる」
 その言葉はどこか、自分に言い聞かせているようでもあった。
「…………私が奴らだったら、瑞は殺さない。少なくとも、私たち全員を、おびき寄せるまで」
 それから、隣を歩く愛を見上げ、困ったように笑む。
「なんて……瑞を助けられなかった自分への、言い訳でしかないかしらね」
 愛は黙って、首を左右に振った。
 そうする以外、出来なかった。



 しばらく会話が途切れ、それからあきはばらが唐突に口を開く。
「暇つぶしに、クイズでもしませんか?」
 その言葉自体も唐突だったが、特に拒否する理由は見当たらない。会話がなくなっていた頃合いだということもあり、他の3人はほぼ同時に頷いた。
 あきはばらは、「じゃあ……」と少し考えてから、
「では、『過程』と『仮定』の違いは?」
「漢字が違う」
 そう即答したのは澪亮。彼女に苦笑しながらも、ひこと悠が順にそれぞれの答えを口にする。
「どっちも『結論』に行き着きますね……」
「過程は演繹、仮定は帰納、でしょうか?」
 あきはばらは頷くだけで答えを言うことなく、問いを続ける。
「では、『仮想現実』と『反実仮想』の違いは?」
 この問いには、3人ともしばし考え込んだ。
 それから、まず澪亮が、
「え〜と、『仮想現実』は『バーチャルリアリティ』のことだろ?」
 次いでひこが、
「『反実仮想』は、仮定法の名称だったはずです」
 最後に悠がまとめる形で、
「だから違いは……文学的と文法的、かな?」
「なるほど。では、『愛情』の反対語は?」
 第三問に最初に答えたのは、ひこだった。
「えと、『愛情』の反対なら……『憎しみ』、でしょうか?」
「意外と『友情』だったりして」
 さらりとすごいことを言ってのける澪亮に目を剥きつつ、悠も自分の答えを口に上らせる。
「『愛情』がないという意味なら、『無関心』?」
 それから、今の状況に符合しているようなしていないような不思議な問い掛けに首をかしげ、
「あきはばらさん、これ何かのヒントですか?」
 そう訊かれた彼女は、微笑みと共に首を横に振った。
「いや、単なる思い付きですよ?」
 ――本当に、そうだろうか?
 彼女の言葉を疑いながら、質問されてばかりでは何となく腑に落ちなかった悠は、逆に質問してみた。
「じゃあ、あきはばらさん、『夢』と『希望』の違いは?」
 あきはばらは考える素振りも見せず、ほぼ即答で答える。
「『夢』は人間にしか持てません。でも最大の違いは、文字数ですね」
 彼女の謎掛けは、それ以上続かなかった。
 4人はそのまま誰からともなく口を閉ざす。
 それぞれが、明日のことに――これからのことに、思いを巡らせていた。

 ややあって、澪亮がぽつりと呟く。
「で……明日、どうすんだ?」
「そういえば、行き先は決まってるんですか、あきはばらさん?」
 悠がそう尋ねると、あきはばらは緩慢に頷いた。
 その仕草はどこか、答えを躊躇っているようにも見えて。
 彼が問いを重ねようとすると、あきはばらはゆっくりと口を開く。

「行き先は天国……いや、地獄かな」

「……えっ……!?」



 一方その頃。Cチームを乗せたトラックは、セキチクシティへ向かう途中の路肩に停車していた。
 さすがに、夜通し運転し続けることは出来ない。運転手のノクタスちゃんに、仮眠を取らせるためだ。
 トラックの荷台に乗るポケモンたちも、ほとんど折り重なるようにして眠りについていた。

 ……と。

 ピクリと耳を動かし、RXがゆっくり頭をもたげた。
「……ん?」
 何か物音が聞こえたような気がしたのだ。そう丁度、足音のような……。
 ――――気のせいや夢なんかじゃない。RXの胸には、妙な確信があった。
 確認しに行かなければ。敵だったら大変だ。
 ……けれど、もし何でもないようだったら、皆を起こしてしまうのも忍びない。
 そう考えたRXは、寝ている皆を起こさないようにそろりそろりと荷台の出口へ向かう。
 霊的な類だったらどうしよう。一瞬そんなことが脳裏を過ぎるが、RXは慌てて振り払った。
(いや、大丈夫大丈夫。幽霊には足がないってのがお約束だ! それに、今の俺はマグマラシなんだ。幽霊でも何でも掛かって来いってんだ!)

 積載量オーバーの荷台の中を忍び足で進み、ようやく荷台の端まで辿り着いたRXは、出口からぴょんと飛び降りる。

 そして、そこで待っていたのは――。

「なっ……お前たちは……!」

「さあ、仲間を助けたいのなら、私たちのところへ来るがいいですわ」
「勿論、一人でね……」




「行き先が天国か地獄って、どの道死じゃねぇか! 秋葉さんそれどーゆー意味だよ!?」
 両手があったならあきはばらの胸倉に掴みかからんばかりの勢いで、澪亮があきはばらに詰め寄る。

 しかし、あきはばらの答えを聞くことは、出来なかった。

「うごっ!!」

 突然、あきはばらが横っ飛びに吹っ飛んだからだ。
 3人は一瞬遅れて、『ゴッドバード』の直撃を食らったのだと理解する。
 地面に倒れこんだあきはばらの真上に、誰かが飛来した。恐らくは、『ゴッドバード』を食らわせた張本人。
「ふう、危なかったな……3人とも、怪我はないか?」

 それは、色違いのオオスバメだった。

「秋葉さん!! てめぇ、よくも――」
 声を張り上げる澪亮を、オオスバメはさらりと受け流す。
「助けてやったというのに、失礼な奴だな」
「助け……?」
 ひこが首をかしげると、オオスバメは緩やかに頷く。
「ああ。私の名前はワタッコHB。お前たちは、この子ネズミに騙されていたんだぞ」
「えっ……?」
 予想だにしなかった言葉に、3人は驚きを隠せないままワタッコHBと名乗ったオオスバメを見つめた。
 彼の名には確かに聞き覚えがある。《なんでもおはなし板》の住人の一人だ。だが、あきはばらが悠たちを騙していたとは……?
「お前たち、不審に思わなかったのか? こいつが普通じゃ知りえないような情報まで持っていること――知りすぎていることを」
 言われてみれば、その通りだ。
「そいつは『ドリームメーカー』の刺客だ。大方、お前たちを上手く誘導して、本部にでも引き渡すつもりだったんだろう」
 そう言われてしまっては、悠たちに否定できる材料がない。
 黙り込んでしまった彼らの隣に降り立ち、オオスバメは3人に背を向けた。乗れ、ということらしい。
「他の仲間たちのところまで、俺が送り届けてやる」
「あ、ありがとうございます……」
 ほぼ条件反射で礼を言ってから、ひこは悠と澪亮を見る。
「……乗るぞ、2人とも」
 澪亮がそう言った。悠とひこは、頷くしかなかった。
 オオスバメの背に澪亮とひこが乗り、悠も乗ろうとしてからふと後ろを振り返る。
 倒れ伏したまま、動かないあきはばら。流れ出した血で、コートが紅く染まりはじめている。
 このまま放っておいて、大丈夫なのだろうか……?
 悠の不安を察知したかのように、オオスバメが彼に声を掛けた。
「敵の心配とは、随分優しいんだな」
「いや、そういう訳じゃ……」
「『ドリームメーカー』のことだ、きっとすぐ救援が来るだろう。それに心配しなくても、本物は別のところにいる。恐らくはゴッドフリートに捕まっているだろう」
「……じゃあ、本物のあきはばらさんは、生きているんですね?」
 悠の問い掛けに、オオスバメは力強く首肯(しゅこう)した。
「ああ、必ず」


 3人を乗せたオオスバメは、真夜中の空へと羽ばたいていった。
 僅かに頭をもたげ、あきはばらはそれを見送ることしか出来なかった。
(違う、みんな……そいつは、そいつ……は……)
 がくん。あきはばらの頭が、力を失う。
 彼女は、そのまま気絶してしまった。



 ガムと別れたファビオラは一人、漆黒の空を飛んでいた。
 その両翼が向かう先は――『ドリームメーカー』本拠地。


 と、ファビオラの耳元で、ブゥン……と耳障りな羽音がした。

 その聞き覚えのある音にはっとして、戦闘体勢を取ろうとするファビオラだったが、一歩及ばなかった。
 どこから飛んで来たのか、ファビオラを取り囲むはスピアーの大群。

 それは――ファビオラが率いていた、スピアーの小隊だった。

「くっ……貴方たち……!」
 スピアーのうちの一体、ファビオラの正面で進路を塞いでいる者が、両手の槍を彼女に向けながら告げる。その声はどこまでも冷たかった。
「ファビオラ様……いや、ファビオラ。先ほどの公園でのやり取り、全て聞かせてもらった。裏切りという罪の重さ……貴女が一番よく知っていると、思っていたのだがな」
 そのスピアーが一層強く羽音を立てると、それが合図であったらしく、他のスピアーたちも一斉に彼女へと槍の矛先を向ける。

「――――残念だ」

 その言葉と共に、ファビオラを取り囲むスピアーたちが一斉に『どくばり』を放った。
 威力の低い技とはいえ、囲まれた状態で集中砲火を食らえば、さすがのファビオラもただでは済まない。
 更に追加効果の「毒」が、ファビオラの身体を蝕んでゆく。
 ファビオラは瞬く間に飛んでいることすら出来なくなり、まっさかさまに地面へと墜落していった――。


「……少々、甘く見すぎましたわね……」
 木々の生い茂る森の中。
 墜落の衝撃で折れた小枝や下草の上で、ファビオラは泥だらけの身体を起こすと、ゆっくりと目を閉じた。
 すぐ、その身体が淡い緑色の光に包まれる。
 『リフレッシュ』。状態異常を回復する技だ。
 緑の光は少しずつ薄くなってゆき、やがて掻き消える。しかしファビオラは、毒状態が回復しても尚、再び飛ぶことが出来なかった。
 ――状態異常は回復できても、体力までは回復できない。
 ダメージを、受けすぎたのだ。
 頭上ではスピアーの羽音が飛び交い、森に墜落したファビオラを探し出そうとしているのは一目瞭然。

 その時、耳障りな羽音を掻き分けるようにして、ファビオラにとって聞き覚えのある声が響いた。

「ファビオラ様ーっ!!」

 森の奥から駆けて来る、小柄な影。
 真っ直ぐに、ファビオラを目指す。

「ファビオラ様っ、大丈夫ですか!?」
 ファビオラの手前で急停止して――いや、止まりきれずにファビオラの羽毛に首まで突っ込んでから、そのポケモンは気遣わしげな目で彼女を見上げた。
 とっしんポケモン、マッスグマ。
 彼は、ファビオラ軍の中隊長。
 名を――――「あかつき!」といった。
「あかつき……」
 美味しそうに熟れた黄色の木の実をファビオラに差し出し、あかつきは言う。
「オボンの実をお持ちしました、お食べ下さい!」
 しかし、ファビオラは静かに首を左右に振った。
「放っておいて下さい。今の私に関われば……あかつきも、『ドリームメーカー』に追われる側となってしまいますわ」
 突然のその言葉に、あかつきは目を白黒させる。
「ふぁ、ファビオラ様? どうして――」
「敵を見逃すなど……心を動かされるなど、『ドラゴン四天王』にあるまじき振る舞い。それは、分かっていましたの。分かっていた、けれど……私は」
 そこで一旦言葉を切り、ファビオラはあかつきを見つめる。
 その瞳に、鋭く冷徹な眼光は見当たらなかった。
「……私は、彼に貴方を重ねてしまったのでしょうね」
 きょとんとして首をかしげるあかつきに、ファビオラはただ、「何でもありませんわ。独り言です」とだけ付け加えた。
 ――しかし、あかつきとしては、話をここで終わらせるわけにはいかなかった。
 ファビオラの討伐対象――――彼女が「敵」と呼ぶ存在は、『ポケ書』の住人たち以外に存在しない。
 そのことは、あかつきもよく分かっていた。
 だからこそ。
 どうしても、訊かなければならなかった。
 しかし、彼はそれ以上話を続けることが出来なかった。

「見つけたぞ!!」

 叫び声と共に、木々の葉を掻き分ける音。
 スピアーたちがファビオラの姿を見つけ、急降下してきたのだ。
「あかつき、貴方だけでも――」
 貴方だけでも逃げなさい、と。
 そう言い掛けたファビオラを遮るかのように、あかつきがファビオラの前に飛び出した。
「オイラは逃げません。逃げることはもう、散々やってきた!」
 下草の茂る大地を四肢で踏みしめ、スピアーたちを睨みつけ、あかつきは一際(ひときわ)一際高い声で(いなな)いた。
 次の瞬間、静かに冷たく降り注いでいたはずの月光が、形を変えた。
 目映(まばゆ)いほどの金色の光が、森の木々すら通り抜けて燦々(さんさん)と辺りを照らす。
 それはまるで、昼間の陽光のよう。
 あかつきの、『にほんばれ』だ。
 突然の事態にスピアーたちは驚いて、動きを止めた。
「ファビオラ様、今です!!」
 ファビオラが迷ったのは、一瞬であった。
 彼女は大きく息を吸い込むと、スピアーたちに向けて勢い良く息を吐き出した。
 彼女の口から呼気の代わりに飛び出したのは、森の木々を更に照らしあげるほどの劫火(ごうか)
 炎は巨大な「大」の字を描き、スピアーたちに襲い掛かってゆく。
 慌てて逃げようとするスピアーだったが、叶わなかった。
 『にほんばれ』によって威力を増したファビオラの『だいもんじ』が、スピアーの大軍を直撃した。
「ぐああああ!!!」
 方々(ほうぼう)で叫び声が木霊(こだま)し、スピアーは次々に墜落していった。
 僅かに残ったスピアーたちも、無勢と判断したかどこかへ飛び去ってゆく。
 あかつきとファビオラ。息の合ったコンビネーションは、まるで――そうまるで、親子のような。



 オオスバメの背に乗った悠たち3人は、真っ暗な空を飛んでいた。
 オオスバメはそれほど大柄なポケモンではない。3人も乗せていれば明らかに積載量オーバーなはずだが、ジルベールと名乗ったオオスバメは苦も無く悠然と飛んでゆく。
 彼らはしばらく黙り込んでいたが、やがて澪亮がぽつりと呟いた。
「……腑に落ちねえな」
「え?」
 悠が問い返すと、澪亮はちらと彼を見ただけで、今度はオオスバメに視線を遣った。
「あのぉ、ジルベースさん」
 突然の澪亮の呼びかけに、ジルベールは咳払いを一つ。
「…………ジルベールだ。それで、何だ?」
「一つ質問していいっすか?」
 澪亮の言葉があまりに唐突だったので、悠とひこは顔を見合わせて思わず首をかしげた。
 彼女の真意が見えないのはオオスバメも同様らしく、彼の返事には怪訝そうな色が見え隠れしている。
「ああ、構わないが……?」
「澪亮さん?」
 澪亮は一呼吸おいて、

「あなたの最初のHN(ハンドルネーム)、何でしたっけ?」

 その問いに、ひこがはっとした顔をする。
 ジルベールは数瞬置いた後、答えた。
「ワタッコHB(ハイブリッド)体だが? それが、どうした?」
 彼の答えに、澪亮とひこは黙り込んでしまった。
 状況の呑み込めない悠は、きょとんとしてそんな2人の顔を見比べる。
 やがて、ひこが静かに、しかしはっきりとオオスバメに告げる。
「……あなた、誰ですか?」
「言っているだろう……私は、ワタッコHBだ」
 しかしひこは、首を左右に振った。
「……違う。あなたはワタッコさんじゃない。元いた場所に、帰してください」
「ひこさんまで……一体、どういうことなんですか?」
 ひこは悠を見ると、「そうでしたね」と呟くように言った。
「悠さんは最近『ポケ書』に来たばかりだから、知りませんよね……。ワタッコさんは、最初からこのHNだったわけじゃないんですよ。『ワタッコHB体』は、改名後の名前なんです」
「つまり……改名前の名前を答えられねえこいつは……」

 ワタッコHBでは、ない。

「さあ、答えてもらおうか。貴様は誰だ?」
 言葉はふざけているようだが、口調は決してそうではない。
 静かな迫力を秘めた澪亮の言葉に、ワタッコはしばらく黙り込んでいたが、やがて。
「――墓穴を掘ってしまったか」
 その瞳に、先程までの優しい色はなかった。
 あるのはただ、獰猛(どうもう)に光る殺意のみ。

「だがまあいい。俺の目的は変わりはしない。そう――貴様らを『ドリームメーカー』本部に連行するという、その目的はな!」




「……」
「あら? 今までの威勢が嘘のようですわ?」
 黙り込むRXを前に、そう言って静かな笑い声を上げたのは――ルエルスだった。
 彼女の隣には、付き従うようにルレンの姿もある。
「君に選択肢はないと思っていますけれどね。君の仲間を――あのブラッキーを、助けたいでしょう?」
 ルレンがそう言うと、RXは間髪入れずに大きく首を縦に振った。
「当たり前だ!」
「それなら、方法はたった一つですわ。私たちの、仲間になること。貴方の働き次第では、彼女を解放してやりますわ」
 ルエルスの言葉に、RXは即答することが出来なかった。
 彼らと今戦ったところで、瑞が帰ってくるわけではない。むしろ下手な動きを見せたら、彼らの手中にある瑞がどうなるか分かったものではない。
 ――瑞は大切な仲間だ。彼女を助けたい、その気持ちに偽りはない。
 だが……ルエルスの言葉に従えば、他の全ての仲間を敵に回すことになる。犠牲にすることになる。
 たとえ瑞を助けるためとはいえ、果たしてそんな行為が――裏切りが、許されるのだろうか。
「勿論、僕たちの仲間になる、ならないは君の自由です。けれど――」
 そこで一旦言葉を切り、ルレンはルエルスと顔を見合わせる。
 2人、意味ありげに笑って、それからルエルスが口を開いた。

「あの小娘の命を私たちが握っていることを、お忘れのないように」

 RXの返答如何(いかん)では、彼らは躊躇いもなく瑞を殺す。
 2体の瞳が、そう物語っていた。
「……っ!!」
 そしてその瞬間、RXの理性は完全に吹き飛んでいた。

 ――瑞を、失いたくなかった。
 ただその想いに突き動かされ、RXは叫ぶ。

「分かった……仲間になる! だから約束通り、瑞さんを放してくれ!!」

「フフフフ……いい子ですわね」
 RXの答えに満足げに微笑み、ルエルスは(きびす)を返して歩き出す。一歩遅れて、ルレンがそれに続いた。
「行きますよ。貴方には、早速仕事を与えましょう」
 振り返ってそう言うルレンに従い、RXも歩き始める。
 従うしか、なかった。


「ん……」
 トラックの中、微睡(まどろ)みから覚めたガムが、辺りを見渡す。
 そしてすぐ、異変に気づいた。
「……あれ?」
 隣で眠っていたはずのRXが、いない――――。



 223の病室へと戻った由衣と愛は、3人で改めて現在の状況を確認し合っていた。
 愛が今までのことを話し終えると、由衣と223はどちらからともなく溜息をつく。
「……それで、『テレポート』を使ったら、飛ばされる瞬間に手を離して……浅目さんとはぐれてしもたわけやな?」
 223にそう問われ、愛はこくりと頷いた。
「浅目さん……どこに飛ばされちゃったんでしょう……無事だと、いいですけど……」
 そこで3人は、しばらく黙り込む。
 やがて、由衣が口を開く。誰かに話し掛けるというよりは、ほとんど独り言のようだった。
「……ドラゴン四天王。やっぱり4体いる、ということは……」
「1人当たり1グループ……と見て、いいんでしょうか?」
 愛が由衣の言葉に続けてそう言う。しかし、由衣は簡単には首を縦に振らなかった。
「確信はないわ。それに、愛たちのように二手に分かれてしまったところもあるだろうし、逆に合流したところもあるだろうし……結局、何が分かるわけでもないわね」
 3人は、再び黙り込む。
 それから、223が零すように、
「……瑞は、大丈夫なんやろか……?」
 その問いかけには、誰も答えられなかった。
 愛が窓の外を見て、気分を変えるように息を()く。
「……もう、だいぶ遅くなりましたね」
 窓の外を見ると、瞬く星々が目に入った。街の灯りも、消え始めている。
 病室に設えてある時計を見ると、既に日付が変わっていた。
 「とにかく」と言って、由衣が2人を見た。
「いま私たちに必要なのは、休養ね。みんなそれぞれ、戦って疲れてるだろうし……ちゃんと休んでおかないと、大変なことになるわ」
 ――そうだ。カールの襲撃から、リディアとの戦闘から、まだ1日も経っていないのだ。何だか、遠い昔のことのように思えてきてしまう。
 由衣の提案に、反対する者はいなかった。
 さすがに3人で眠るにはベッドは狭すぎる。223が毛布を床に降ろし、愛と由衣はその上で丸くなった。223も、ベッドに横たわる。
 由衣が元々いた病室に戻るという手もあったが、別々の場所で眠りたくはなかった。
 これ以上、誰かがいなくなるのは嫌だった。




「ファビオラ様、さっきの話を続けてもいいですか?」
 スピアーたちを追い払った森の中、あかつきがファビオラを見上げて言う。
 ファビオラは僅かに怪訝そうな顔をしたが、緩やかに頷いて彼に先を促した。
 あかつきは覚悟を決めるように、大きく深呼吸を一つ。そして、
「その……貴女が見逃したという、『敵』の名前は……分かりますか?」
 予想外の言葉に、ファビオラは目を(しばた)いた。
 ――彼の名は、確か。
 そうだ、あのマグマラシが呼んではいなかったか。
 確か、
「――ガム」
 ……と。
 あかつきは彼女の言葉にはっとした表情になり、それからファビオラを見上げて言った。
「ファビオラ様。オイラやっぱり、貴女について行きます!」
 ファビオラを見上げる水色の瞳に、迷いはなかった。
 驚くファビオラに、あかつきは構わず続ける。
「ホントは、もっと早く決心しなきゃいけなかったんだ……。でも、今からでも遅くないと思いたい。オイラ、やっぱりみんなを助けないといけない……!」
 彼にとって聞き覚えのある名前が、そしてファビオラの行動が、最後の後押しになった。
 たとえ『ドリームメーカー』を裏切る結果になろうとも。追われることになろうとも。
 ようやく驚きから立ち直ったファビオラが、慌てたように首を横に振る。
「何をおっしゃいますの? 危険すぎますわ!」
「危険なんて承知の上です! だって、オイラは――」
 そこで一旦言葉を切り、あかつきはしばしファビオラを見つめたまま黙り込む。
 やがて、絞り出されたのは、

「……ごめんなさい。今まで黙ってて。ファビオラ様を、騙すみたいになってしまって」

 謝罪、だった。
「あかつき……?」

「オイラ……オイラ、ホントは元々人間なんです。ファビオラ様や『ドリームメーカー』が追ってきた、《なんでもおはなし板》の住人の、一人なんです」

「……」
 ファビオラは、何も言わなかった。
 動揺しているのか、それとも――あかつきの告白したことに、薄々感づいていたのか。
「オイラ、この世界に来たばっかりの時に、訳も分からないまま襲われて……怪我をして動けなかったジグザグマのオイラを、ファビオラ様は拾ってくれた。助けてくれた。それが嬉しくて、オイラ、ファビオラ様に着いていこうと思った、でも――」
 あかつきの正体は、ファビオラにとって「敵」。ファビオラと共にいたければ、自分の正体を隠す他なかったのだ。
 ファビオラと共にいたければ、同胞と戦うしかなかったのだ。
「ごめんなさい。ファビオラ様……。でも、オイラは決めた。みんなを、助けたい!」
 叫ぶあかつきの瞳に、僅か光る涙。
 ファビオラは柔らかく笑むと、あかつきへと羽毛の翼を伸ばし、背の毛皮を撫ぜた。
「……もし貴方と出会ったことが何かの縁なら、尚更この戦いを止めなければなりませんわ。きっとそれは、運命なのですね」
 だから。
「あかつき。協力して、下さいますわね?」
「はいっ!」
 元の明るさを取り戻したあかつきの笑顔に、ファビオラは頷いた。
「貴方はあの者たちと合流しなさい。ここからなら、クチバシティが一番近いですわ」
「はい!」
 ファビオラはどこか遠くを見遣って、決然とした声で言う。
「私は、あのお方のもとへ参りますわ。説得に応じるような方ではないのは重々承知しています。けれど――なにもしないよりは、ずっと」
「分かりました。ファビオラ様、お気をつけて!」
 あかつきに見送られ、ファビオラは森の向こうへと翼を広げて飛んでゆく。
 その後ろ姿に、一瞬だけあかつきは不安に襲われる。
 もし……これが、ファビオラを見る最後になってしまったら。
 ――けれど、今はそんな漠然とした不安に惑わされている場合ではない。
 あかつきは持ち前の脚力を生かし、全速力で走りだした。
 真っ直ぐにしか走れないのが難点だが、そんなことには構っていられない。
 助けなければ。彼の、本当の仲間たちを。



 太陽が昇り始めた、明け方のクチバシティ。
 その端にある貨物駅近くに、一台のトラックが到着した。
「――RXさん、どこ行っちゃったんだ……」
 そう独りごちながら、ガムがトラックを降りる。ヒメヤや『ポケ書』の住人たちが、それに続いた。
「RXさ〜ん! ――なんて、呼んでも返事する訳ないしなぁ……」
 溜息と共に、ヒメヤが言う。
 ――彼らがトラックの中で目を覚ましたとき、既にRXの姿はなかった。辺りを探しまわったが結局彼を見つけることは出来ず、彼らは仕方なしにRX抜きのまま出発したのだった。
 見つからない人をいくら探しても仕方ない。それに、彼らには目的がある。いつまでも立ち止まってはいられないのだ。
「……大丈夫っスよ。きっと、そのうち合流出来るっス」
 バク次郎の言葉は何の確証もないものだった。けれどその言葉が支えになるのもまた事実で、ヒメヤとガムはどちらからともなく顔を見合わせて頷いた。
「それにしても……」
 「クチバ貨物駅」という古ぼけた看板を見上げ、駅に向かって歩きながらサナが言う。
「駅だというのに、ずいぶん寂しいところ――――きゃっ!?」
「サナさん!?」
 突然上がった悲鳴に、ヒメヤたちは慌ててそちらを見る。
 看板を見上げながら歩いていたサナは何かに(つまづ)いてしまったようだ。
「いたたた……」
 膝をさすりながら立ち上がるサナの足下に、黄色。
 ――いや。黄色のコートを着た、誰か。
「……ライチュウ?」
 そこに倒れていたのは、黄色のコートを纏い、シルクのスカーフと緑のバンダナを巻いたライチュウだった。
 しかし、身に着けた衣服は(ことごと)く血に汚れ、完全に意識を失っているようだった。
「ひどい怪我だ……早く手当てしないと!」
 言うが早いか、ヒメヤは回復道具を取りにトラックへと引き返して行った。



「こうなってしまった以上、意地でも貴様らをボスの所へ連行する他ない!」
 その言葉と同時、オオスバメは一気に高度とスピードを上げた。
 振り落とされたら大変なことになる。こんな所から真っ逆さまに墜落するなんて、御免被りたい。悠たち3人は、オオスバメの背に必死でしがみつくことしか出来なかった。
「おい、ひこっ!」
 吹き付ける風圧にほとんど目も開けられない状態で、それでも澪亮が叫ぶ。
「お前、電気タイプだろ!? こいつ何とかしろ!」
「む、むっ、無理です無理です!!」
 風の(うな)りに負けるまいと、ひこも大声で叫び返す。
「こんなところで技使ったら、みんな一緒に痺れちゃいますよ!」
「ちっ、じゃあ俺が何とか――って、俺ゴーストタイプじゃん! 俺の技効かねえじゃん!!」
 焦った表情を浮かべる2人をよそに、悠は勢いよく右腕を振りかぶった。
「それじゃあ、僕が!」
 振り上げた右腕を、ジルベールの背へとめがけて振り下ろした。
「『スカイアッパー』!」
「ぐうっ……!」
 『スカイアッパー』の直撃を受け、オオスバメの身体は大きく揺れた。
「おい悠! お前最初からそれやれ――うわっ!!?」
 ――勿論、悠たちはオオスバメに乗っているのだ。

 オオスバメがバランスを崩せば……落ちるのみ、である。

「うわああああ――――…………あ、あれ……?」
 もはや墜落するのみ、万事休す――と目を閉じた悠だったが、いつまで経っても落下するような感覚がないのに気づき、恐る恐る目を開けた。
「わ、私たち、浮いてますよ……!?」
 訳が分からないといった様子で、ひこが目をぱちくりさせる。
 彼らの身体は、紫がかった怪しげな光に包まれていた。
「ま、こんなモンか」
 にやにや笑いながら、澪亮が2人の前を浮遊している。
「モノを自由自在に動かす能力。まあ所謂(いわゆる)一つの『サイコキネシス』だな。俺は特性『ふゆう』だ(もともとういてる)し」
「あ、ありがとうございます澪亮さん!」
 満面の笑顔でそう言うひこをよそに、悠は苦笑い。
(さっきの『お前最初からそれやれ』ってツッコミ、そのまま返しますよ澪亮さん……)
「ん? 何か言いたそうだな、悠」
「いえ? 気のせいですよ?」
「……まあいっか。貨物駅に戻るぞ。忘れ物を取りに行こう」
 忘れ物?
 一度は首を傾げた悠とひこだったが、ほぼ同時にその『忘れ物』が何なのかを思い出す。
 そう。オオスバメとあきはばらの言い分は食い違っていた。そして、オオスバメが嘘をついていたとなれば。
「秋葉さん……!」
「そういうこった。行くぞ!」


「くそっ……しくじったか。とにかく、戻って報告だ……」
 ジルベールはそう呟き、3人に背を向けて飛び去って行った。



「……う……ここは……?」
 トラックの中で、ライチュウ――あきはばらは、ゆっくりと目を開けた。
「あ、気が付きましたか?」
 視界の端に映った誰かが、そう声を掛けてきた。あきはばらはその姿を確かめようと身体を起こす。
 上部に(ほろ)の張られた、トラックの荷台。
 目の前でにっこりと笑うジュプトルと。
 彼の後ろに無造作に並べられた、大量の武器類。
 はっとして周囲を見渡すと、回復系の薬に交じって、重機関銃やら弾薬やら手榴弾やら何やらがあちこちに置かれている。
(――これはヤバい)
 一瞬にしてあきはばらがそう判断したのは、無理もないだろう。
 彼女は片手を床に突き、いつでもジュプトルに飛び掛かれるよう戦闘体勢を取った。
 驚いたのはジュプトルのほうだ。
「わわっ! ぼ、僕たちはあなたを襲ったりなんかしませんよ!!」
 尚も警戒を解かないあきはばらに、ジュプトルは焦って言葉を重ねる。こんなところでバトルにでもなったら、笑い事では済まない。
「僕はヒメヤMkU量産型といいます、《なんでもおはなし板》の住人の一人です! ここは『ポケ書』の住人たち――『ドリームメーカー』と戦うゲリラ組織のトラックで……!」
 ――ヒメヤMkU量産型。聞き覚えのあるその名前に、ようやくあきはばらの緊張は解けた。
「……そうですか、ヒメヤさんですか。どうも、失礼しました」
 その反応に、ヒメヤは首を傾げる。
「あれっ? 僕のこと、知ってるんですか?」
「ええ。《なんでもおはなし板》の常連の名前くらいは、把握してますから」
 そう言って、あきはばらは軽く会釈した。
「ある意味では初めまして、ある意味ではお久し振りです。あきはばら博士と申します」
 その言葉を聞いて、ヒメヤの瞳が輝いた。
「あきはばらさんだったんですか! あ、皆さん外にいますから、行きましょう!」
「ええ、分かりました」


 2人がトラックを降りると、近くにいたガムが真っ先に駆け寄ってきた。続いて、サナやディグダマンら、『ポケ書』の住人たちもやってくる。
「ライチュウさん! もう動いて大丈夫なんですか?」
「はい。ご心配をお掛けしました。……それと、私の名前はあきはばらです」
「秋葉さん!? あ、僕はガムです、宜しくお願いします!」
 などと自己紹介をしていると、少し離れたところで空を見上げていたバク次郎が、「ん?」と声を上げた。
「なんだありゃ。UFO?」
「えっ!?」
 ヒメヤたちも空を見上げる。
 確かに、鳥とも飛行機とも違う何かが、空を浮遊している。
 どうやらこちらに近づいてきているらしい影が、3つ。
 怪訝そうに空を見上げていたヒメヤたちだったが、その影から降ってきた声に、一瞬にして笑顔に変わった。
「あきはばらさーん! あ、ヒメヤさんにガムさんも!!」
 UFOかと思われたそれは――悠、澪亮、そしてひこの姿だった。



「見回りお疲れ様」
 ポケモンセンターに顔を出したガーディに、ラッキーが声を掛ける。
 ガーディはセキチクシティの警備を担当しているポケモンのうちの1体で、ポケモンセンターで働くラッキーとは旧知の間柄である。
 ガーディはぺこっと頭を下げると、ラッキーの向こう側、ポケモンセンターの奥を覗き込む仕草をして、
「あの子たちは……?」
 ――そう。昼ごろ、カールとの戦いでボロボロになった223たちを助けたのも、このガーディだった。
 ラッキーはにっこりと微笑んだ。
「患者はよく眠っています。体調は良好のようですよ。ただ……ブラッキーがどこかに行ってしまったようで……」
「そう……」
 ガーディはそれ以上、追及しなかった。
 ラッキーも、何も言わなかった。
 彼らの身に何が起きて、どうしてこんな怪我を負うことになったのか、大体の見当はついている。
 けれど、声を上げて何かを言うことは出来ない。
 ――そんなことをしたら最後、自分がどんなことに巻き込まれるか、分かったものではない。
 それどころか、彼らを保護しているというだけで、充分罪に問われかねない。
 …………それでも。
「……何かしたいと思ってしまうのは、義務感なのかしらね」
 誰にともなしにガーディが呟き、ラッキーは困ったような笑顔で首を傾げた。



「――RXさんがいなくなった!?」
 悠の叫び声に、ヒメヤはこくりと頷く。
「瑞さんを助けるには、一刻の猶予もありません。もうここを発たなければいけないのに……RXさんが、見つからないんです……」
 辺りをくまなく探しまわってはみたが、彼の痕跡と呼べそうなものは何一つ見つからなかった。このままここを探し続けていても、無駄骨に終わってしまう可能性が高い。
 瑞を助けに行くのであれば――――RXは、見捨てていくしかない。
「セキチクの仲間を放ってはおけません。……行くしか、ないみたいです」
 ガムがそう言って、ヒメヤの方を見た。
 隠しきれない諦めの色を、それでも何とか隠そうとしている様子が、手に取るようにわかる。
「大丈夫ですよ。RXさんも、僕たちの目的地は分かっています。RXさんならきっとまた合流できると、僕は思いますよ」
 確証などないこの世界で、それでも仲間との絆だけは、確証のあるものだと信じて。
 ガムの言葉に、しかしヒメヤは何も返すことが出来なかった。

 一通りの自己紹介とこれまでのあらすじを大まかに説明し終えた悠たちは、トラックに乗り込んで再びセキチクシティを目指す。
 ――しかし、ただでさえ積載量を大幅にオーバーしていたトラックに、更に4人も乗り込んだのだから、今やトラックの中は通勤ラッシュも顔負けの圧迫地獄と化していた。
「す……すまないラティアス、もう少し詰めてくれないか……?」
 苦しげにラティオスが言うが、ラティアスも身動きが取れないのが現状だ。
「無理よお兄ちゃん……――って、ちょっとバク次郎さん!? お尻触らないで下さいよ!」
「え、い、いや、オイラじゃねえっすよ!」
 バク次郎は必死になって否定する。
「バク次郎……ボクの妹に手を出すとは、いい度胸じゃないか。『ラスターパージ』で跡形もなく吹っ飛ばされるのと、『どくどく』でじわじわと弱らせられるのと、好きな方を選ぶといいよ」
 ラティオスの台詞に、冗談の色は微塵も見受けられなかった。
 絶体絶命のバク次郎は、苦しい言い訳をひねり出す。
「い、いや、これはオイラじゃなくて……そう、悠の仕業ッスよ!」
「えぇ〜っ!? ぼ、僕!?」
 勝手に犯人にされた悠も、たまったものではない。
 ラティオスの敵意が悠に向く――が、それも一瞬のこと。
「でも、悠さん私と離れたところにいますよ……?」
 ラティアスに図星を指されたバク次郎は、ラティオスの視線が再び自分に向くのを感じ取った。
「いや……その……実は悠はとても腕が長くて――」
「そんな無茶な!」
 またしても言い訳モードに入るバク次郎と、慌てて否定する悠と。
「もう止めてください! 遠足行くんじゃないんですよ!」
 騒がしい車内に、片手に機関銃のグリップを握ったままのヒメヤの怒号が響いた。



 そしてそのトラックを、物陰から見ているポケモンがいた。
「ふ〜ん……あいつらが俺のターゲットか……」
 そこにいたのは、一匹の青いポニータ。
 ――そう、クラッシュの姿だった。



「すいませんでした、まじでごめんなさい、本当にごめんなさい撃たないでくださいごめんなさい」
 一方、狙われているとも知らないトラックの中の一同は、暢気なものである。
 ……いや、銃器を構えたヒメヤと、いつでも技を打てる体勢を取るラティオスの前で土下座するバク次郎の胸中は、決して暢気とは言い難いだろうが。
「あ〜、俺狭いの嫌いだわ……人ごみとか嫌いだわ……」
 バク次郎たちの騒動など我関せずといった風に、澪亮が愚痴をこぼす。しかも、何故か悠に向かって。
「いきなり何言ってるんですか……しかも僕に言われても困りますよ。外に出ればいいんじゃないですか?」
 澪亮のマイペースっぷりに、呆れた表情で彼女のことを軽くにらむ悠だったが、一瞬後に相手が悪かったことを知る。
「あれあれ? 何だい悠クン、ちょいと出番が増えたからって調子に乗るもんじゃないよ〜? 人のこと睨んだりしちゃいけないよ〜? 特に俺のこと睨んだりしちゃいけないよ〜? 主人公のくせに台詞も少ない奴が調子に乗るんじゃないよ〜?」
(くっ……人が悩んでることを……!)
 そうは思うものの、澪亮の笑顔から底知れぬ殺気を感じた悠は、黙り込まざるを得なかった。
 そして、そう感じたのは悠だけではなかったようだ。一瞬にして、トラック内は水を打ったように静まり返る。
「澪亮さん、レパートリー増えました?」
 そんな暢気な発言が出来るのは、あきはばらだけだ。
(……明日も、生きていられますように……)
 心の底から、切実に、そう願わずにはいられない悠だった。


 騒動が一段落し、静寂の訪れたトラックの中。
 やはり、相当な疲れが溜まっていたのだろう。彼らは一人、また一人と眠りに落ちて行く。
 そんな中、ヒメヤとラティオス、そしてラティアスだけが、寝つけずにいた。
 お互いが目を覚ましていることを確認し、彼らはどちらからともなく照れたような笑みを浮かべる。
「ラティアス、お前は寝ておきなさい。まだ万全な体調じゃないんだから」
 兄にそう言われたラティアスは、少しの間黙りこくった後、意を決したように彼を見上げる。
「……その前に、聞いて、お兄ちゃん」
 ほとんど独り言のように、ラティアスは続ける。

「私たちがあの公園で襲われた時……あいつらが、『次はジルベールだな』、って……。私、その時にはもうほとんど体力残ってなくて、意識も朦朧としてたけど……その言葉だけは、確かに聞き取れたの」

 ジルベール。ファビオラに襲われた彼らの窮地を救ってくれた、色違いのオオスバメ。
 RXが聞いた話によると、彼は彼のやり方で『ドリームメーカー』を打倒すべく動いていた、そのはずだったが……。
 ワタッコHBいわく、彼はもう死んでいる。もしかしたら、ラティアスが聞いた言葉の通り、『ドリームメーカー』に襲われてしまったのだろうか。
「……ワタッコさん、起きてるんでしょう?」
 ヒメヤにそう問われ、ワタッコHBは「やれやれ」と呟きながら頭をもたげる。
「少しは休んでおきたかったのだがな」
「ワタッコさん、教えられる範囲で構いませんから、教えていただけませんか? 『ジルベール』のことについて」
 ワタッコHBは溜息と共に、「すまないな」という前置きをした。
「お察しの通り、今はまだ、全てを話すことはできない。だが……そうだな、どこから話せばいいだろうか」
 何を話すか言葉を選んでいるらしき若干の間があって、それからワタッコHBは話し始めた。
「詳しくは言えないが、私も君たちとほとんど同じようにしてこの世界にやってきた。全く同じ、とは言えないがな。……そして、私がこの世界に辿り着いた時、私の目の前には瀕死状態のジルベールがいた。……“本物”の、ジルベールが」
「本物の……?」
「ああ、そうだ。彼もかつては『ドリームメーカー』の一員だったが、現在の『ドリームメーカー』の在り方に疑問を抱き、ゴッドフリートの招集にさえ長い間一度も応じなかった。そして遂に、『ドリームメーカー』と(たもと)を分かつ決意をしたんだ。無論、ゴッドフリートがそれを許すはずがない。――ゴッドフリートの命により、ジルベールは殺された。しかし、ゴッドフリートは彼のその高い戦闘能力に目をつけ……ジルベールの複製(コピー)を作ることを考え付いたのだ」
 ワタッコHBが話せるのは、どうやらここまでのようだ。
 彼が悠たちと「全く同じとは言えない」と言う理由は何なのか、そして何故、ジルベールと同じ姿をしているのか、そこまでは教えてはくれなかった。あるいは、それが彼の言う「話すことはできない」範疇に含まれるのだろうか。
「そう……だったんですか」
 話し声で目が覚めてしまったのだろう。いつの間にか、ガムと悠も身体を起こし、ワタッコHBの話を聞いていた。鳥目の悠は、眠そうに(まなこ)をこすってはいたが。
「あ、すみません……起こしてしまったみたいですね」
 謝るヒメヤに、「気にしないでください」とガムは首を左右に振る。
「それより、今の話……だとすると、“コピー”のジルベールは、能力はオリジナルのままに、ゴッドフリートの命令に忠実に従う複製……ってことですか?」
 ワタッコHBは大きく頷いた。
「たった一人で『ドリームメーカー』と渡り合おうとしたジルベールの強さは、お前たちの想像を遥かに超えるだろう。“本物”のジルベールの強さと記憶を持ち合わせながら、ゴッドフリートの意のままに動く機械……それが、コピージルベールだ」
「……これは、四天王以上の脅威かもしれないですね」
 ヒメヤの呟きを、誰ひとり否定できなかった。
 ややあって、ワタッコHBがもう一度口を開く。
「そして、本当に恐ろしいのは……コピーポケモンをいともたやすく作り上げてしまう、『ドリームメーカー』の力なのかもしれないな」
 ――コピーポケモン。“正規”のポケモンの世界では、ミュウツーを生み出す原因となった、禁断の技術とされている。
 そして、ワタッコHBのこの言葉は――ガムの中にくすぶり続けていた不安に、確固たる形を与えてしまった。
「……RXさん」
 彼が呟いたその一言に、ヒメヤははっとして彼の方を見る。

 ――もし、彼の身に何かが起きたのだとしたら。
 そしてそれが、『ドリームメーカー』によって引き起こされたものだとしたら。
 ジルベールさえ敵わなかった『ドリームメーカー』に、RXが一人で太刀打ちできるはずがない。それどころか、敵には瑞という人質がいるのだ。

 RXのことを、放っておくわけにはいかない。
 そんなこと、彼の矜持が許さない。

「みなさん……」
 ガムは起きている皆を見回して、それから彼らに頭を下げた。

「勝手な言い分かもしれませんが……僕に、みんなと別行動を取らせていただけないでしょうか?」

「な、何言ってるんだ!? こんな激戦区の中でチームを抜けるなんて、自殺行為だ!」
 ラティオスが慌てて制止しようとするが、ガムは意志を曲げなかった。
「やっぱり……RXさんのこと、放っておけないんです。あともう一つ、どうしても気になることがあって……。身勝手なお願いなのは分かっています。でも、行かせてください!」
 チームワークを乱すとも取れるガムの言い分に、ラティオスは困った表情で皆を見回す。
 と、ラティアスがふわりと浮きあがると、ガムのところに近づいてきた。
「どうしても行くっていうのなら……これ、持って行って」
 そう言うと、彼女はゴスロリ衣装のリボンに結ばれた小さな袋を取り外し、ガムに手渡した。
「これは……?」
「『ひかりのこな』。これがあったから、ファビオラに襲われても私は生きていられたの。きっと、ガムさんを守ってくれるわ」
 それから、柔らかく微笑んで、
「……ガムさんにはちゃんとお礼言ってなかったよね。助けてくれてありがとう」
 彼女の様子を見ていたラティオスは、「やれやれ」と言いたげな顔で苦笑した。
「仕方ないな……。ただ、これだけは約束してくれ。必ず、生きて帰ってくると」
「はい!」
「おっと、連絡手段も持たない気かい? これを持っていきな!」
 トラックの前方から声がしたかと思うと、ノクタスちゃんが運転席から何かを放ってよこした。
 ――ポケナビ。様々な機能を持ち、電話としても使える小さな機械だ。
「ぐっどらっく!」
 振り向かないまま帽子のつばを持ち上げてみせるノクタスちゃんに、ガムも頷いて見せた。
 ガムがポケナビを持ち上げようとすると、それより早くワタッコHBがポケナビを咥え、翼を使って器用に首へと掛ける。
「私も一緒に行こう。少なくとも現状では、君より経験は上だ。飛べる分、移動もスムーズになるだろう」
「あ……ありがとうございます、ワタッコさん!」
 それから、彼はヒメヤに向き直って、
「あの『ポケモンのふえ』は、大事にとっておけ。いざというときになったら吹くんだ」
「はい!」
「あ、あと、悠さん! これを……」
 ガムは首回りの毛の中に『ひかりのこな』をしまいこむと、代わりにそこから『ラムのみ』を取り出し、悠に手渡した。
 悠もすっかり目が覚めたようで、しっかりした手つきでそれを受け取る。
「これ、良かったら使ってください。きっと何かの役に立ちますから」
「ありがとうございます、ガムさん! ……さよならは、言いませんよ」
 そう告げる悠の表情は、本当に頼もしかった。
 ワタッコはガムの身体を両脚でがっちり掴む。翼をはためかせながら、ヒメヤたちを振り返り、最後にこう告げた。
「気をつけろ。このトラックは、既に敵にマークされている。敵の気配は二つ。一つはハインツだな。もう一つは分からないが……小さいながら、嫌な気配を秘めている。油断するなよ」
 そして二人は、夜の闇の中を、月明かりが煌々と照らす空に向かって飛びたっていった。
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