「スズーっ!」
 聞きなれた声が、自分の名前を呼ぶ。シャワーズの雌、スズは海面から顔だけ出してそちらを見た。
 予想通り、同種族である双子の姉・ユズがそこに立っている。
「待ってて、今行くからー!!」
 姉に叫び返してから、スズは島に向かって泳ぎ始めた。

「ふぅ、とうちゃーく。んでユズ、どうしたの?」
 スズが海から上がるにつれて、海水に溶けていた体が元の姿を形作る。ユズの前に立って、スズは首を傾げた。
 ユズが、同じように首を傾げる。まるで、鏡を見ているようだ。
 この2体は、本当に似ている。人間だったら大抵の同種族のポケモンがそもそも見分けがつかないからそれは兎も角としても、ポケモン達でも2体の区別がな かなかつかないのだ。
「……んっとねぇ、何だっけ?」
「いや、訊かれても困るんですけど」
 冷静にツッコミを入れるスズ。もう何年も側にいるので、慣れたものである。
「あ、そうそう、ラグがスズを呼んでたんだった!」
 数瞬おいてからユズが告げた言葉に、スズは若干の嫌な予感を覚える。
「ラグ、が?」
「うん。なんか、ちょっと困ってたみたいだったんだけど、なんだったんだろぉなぁ……」
「取り敢えず行ってみる。ありがと、ユズ」
「ん。いってらっしゃーい!」
 ラグのいる、島の中央部近くにある泉に向かって、スズは走って行った。
 残されたユズは、「う〜ん、これからどうしよっかなぁ?」と呟きながら、海岸線に沿ってのんびりのんびり歩いてゆく。




 スズが泉の側へ行くと、ラグが何だか所在なさげに座っていた。
 彼はすぐにスズの姿を認め、立ち上がった。いつも泉の脇で寝てばかりいる彼が起きていて、しかも落ち着かない様子でいることに、スズの嫌な予感は増大する。
「スズ……」
「ラグ、何があったの?」
「それが……」
 ラグは躊躇って、スズから目をそらしてしまう。
「何?」
「あの……あのっ、スズ、ごめん!!」
「え……?」
 突然謝られ、スズは目を白黒させた。
 ラグは、その大柄な体をゆっくりと横にどける。
 そこにあったのは……泥の中に埋もれた、大量の木の枝や石、そして葉。
 スズの元々水色の顔が、更に青ざめる。
「これは……っ!?」
「ごめん、僕が目を覚ましたら……こうなってて……」
 しどろもどろになって説明するラグ。
 スズは顔を俯けて……何かを小さく呟いた。
 そしてもう一度、呟く。今度はラグにも聞き取れる大きさで。
「どこの……どいつだぁっ!」
「わ、分からな――」
 ラグの言葉をさえぎって、スズは叫ぶ。

「ぜぇってぇ許さねぇっ!!」

 言うが早いか、スズは駆けていってあっという間に姿を消した。
 ラグは、すっかり困り果てた顔で溜息。
「弱ったなぁ……スズ、怒らせちゃったよ……」
 それから、背を丸めてぺたんと座り込む。
「ごめんね、ごめんねスズ……折角、君が作った地図なのに……」




 さて、その頃。モモは、ミゾレとジュジュに案内され、島の探検をしていた。モモが寝床にしているものとは別の大きい川を、ジュジュは泳いで、後の2体は 川岸を歩いて、上流に向かって進んでいる。
「この辺りはねーぇ、綺麗な石がいっぱい落ちてるんだよぉ」
「川の上流にある大きな岩が、流される途中であちこち削られて、下流に着く頃にはこんなに小さな石になっておるのじゃよ。この辺りは位置的に丁度いいのか、見事なまでに丸い石がごろごろしておる。子供達が遊びに使うのは勿論、ちょっとした道具などにも利用できるしな。アスカも良く使っておる。それに ――」
「……ふーん……」
 モモが思うに、この2体は案内役に向いていなかった。ミゾレの説明は簡潔すぎ、ジュジュの説明は詳しすぎだ。もう少し適当な――適度に詳しい知識を持っていて、短く分かり易く話すポケモンはいないのだろうか?
 しかしまあ、文句を言えはしない。元々、この島について色々知りたいと言い出したのはモモなのだから。
『あれぇ、モモ。最初、この島に長居するつもりはないとか言ってなかったっけ?』――意地悪っぽいマナの言葉が、脳裏によみがえる。


「う……それは……言った、けど」
「けど?」
 楽しそうに、マナはくすくす笑う。からかわれているのを承知しつつも、何となく気恥ずかしくなるモモだった。
「こっ……この島をよく見てみて、悪かったら他のところへ行く!」
「あはは……じゃあ、この島のうんといいところを、見てもらわなきゃね」
 目を逸らして言い捨てるモモに、マナは笑ってみせる。
 と、
「ほっほっほ、話は聞いたぞい」
 突然、2体のすぐ側の池からジュジュが顔を出した。
「ちょっ、ジュジュじいさん! 盗み聞きする癖直してよっ!」
 マナの抗議を無視して、ジュジュはモモに話しかける。
「どれ、その案内役、わしが(うけたまわ)ろうかの」
「あの……私も、一緒に行っていいかなぁ?」
 ジュジュの後ろからもじもじとした様子で声をかけたのは、ミゾレだった。
「うん、じゃあ2人にお願いしようかな? モモ、いいよね」
「あ……うん……」
 疑問系ではなく確認としてのマナの言葉に、モモは頷かざるをえなかった。
 本人を差し置いて、とんとん拍子で話は進む。

 こうして、モモはジュジュ、ミゾレと共に島の探検へ出かけることになったのだ。



 以上、回想終了。
「あ、もうすぐ石の綺麗な川原は終わり、この辺りは草が沢山生えてるんだよぉ」
「この辺には、フライゴンのトキや、エーフィのシロ、ブラッキーのクロの姉弟が住んでおってな。トキは島の連絡役のようなもので、皆に頼られておる。シロとクロはとっつきにくい奴らではあるが、良いポケモン達じゃよ。それから――」
「……へぇ……」
 確かに、モモは2体に文句を言える立場にはない。が……まじめに聞いていると疲れるのも事実だ。
 モモは半分以上聞き流して、自分で島の様子を見ることにした。

 単なる観光気分で、この島の観光を申し出たわけじゃない。

 例えば災害が起きたとき、どこに逃げれば安全か。例えば新しく来たポケモンと縄張り争いになったとき、どこを戦いの場とすれば有利になれるか。
 自分の目で、それらを確かめておきたかったのだ。

 まだ、島のポケモン達を完全に信用したわけじゃ、ない――。

「どうする、モモ? この先も見ていく?」
「この島は案外広いからのぉ。あちこち見てまわるのじゃったら、そろそろ他の所も見に行った方がいいかもしれんな、日が暮れてしまうわい」
 ようやくこの辺りについての説明を一通り終えた2体が、モモに向き直って尋ねる。
 少し考えた後、モモは言った。
「……この先も、もう少し見ておきたい」
 この島の広さから言って、1日で全体を見ることは恐らく不可能だろう。それなら、同じ場所の狭くても深い知識を得ておいた方がいいかもしれない。
 モモの答えに、ミゾレは首をかしげた。
「え、でも……」
 その声にかぶせるように、ジュジュが笑う。
「ほっほっほ。では、もう少し川を上ってみるとするかの」
 目を細めてモモを見たジュジュは、モモの考えを全てお見通しでいるような、そんな気が彼女にはした。

 その時突然、ざばんという水音と共に、モモの視界いっぱいに水が広がった。

 一瞬モモは焦るが、そういえば、と自分は水中でも息が出来たことを思い出し、特に()けようとはしなかった。
 ――ので、その水をめいいっぱい被ってしまい、結果としてその勢いに押されてひっくり返ることに。
 突然のことで驚いているのだろう、ジュジュもミゾレも唖然としている。
 どうやら、誰かが、川から上がってきたようである。それも、ものすごい勢いで。
 持ち上がった水の半分は川原の上に広がり、もう半分はモモ達の前でポケモンの姿を形作る。
 それは、シャワーズの姿だった。
 モモはこの島に双子のシャワーズが住んでいることを思い出し、一歩遅れて自分が2体の区別をつけられないことを思い出す。
 しかし……のんびり屋のユズに快活な性格のスズ。そのどちらかが、こんなに凶暴な目つきをしていただろうか?
「お前らっ、ま〜さ〜か〜と思うけど……あたしの地図、壊しやがったりしなかっただろうな!?」
「へ? …………地図?」
 その口から出るとは思わなかった単語に、モモは首を傾げる。
 しかし、ジュジュとミゾレにはそれが何なのかが分かっているらしい。2人は、冷や汗を浮かべつつ首をぶんぶんと左右に振った。
「わっ、わしらは知らんぞい!」
「うん、知らないよぉ!! ……えっと、スズちゃんだよね? その地図、どうかしたの……?」
 そうか、こっちはスズなのか、と妙なところで納得するモモ。
「誰かが壊しやがったんだ、あたしの地図!!」
 スズは100%怒気で構成された声でそう叫ぶと、モモ達3体の顔を検分でもするかのように一通り見渡した。
 ――いや、実際検分していたのだろうが……。
「本っ当に、あんたらには関係ないんだな!?」
 ジュジュとミゾレは、先程よりも更に大きく首を左右に振る。つられてモモも同じようにして、自分が関係ないことをアピール。
「もし嘘ついてるの分かったら承知しないからな!」
 その言葉を残し、スズは川の上流へとものすごいスピードで走っていった。
 残されたジュジュとミゾレは、嵐が去ったといわんばかりの深い溜息をつく。
 ただ1人、状況の分かっていないモモは、取り敢えず状況把握をすることにした。
「えっと、出来れば何が起こってるのかを説明して欲しいんだけど」
「彼女はスズ、双子のシャワーズの妹の方じゃ――おっと、これは知っていたか? ……スズはの、島の外周を泳ぎ回ったり、中を探索したりして、この島の地図を作っておるのじゃよ」
 地図という言葉とスズとが、やっとモモの中で繋がった。
「それをね、小枝とか、小石とかで地面に描いて、ラグに守ってもらってるんだよぉ」
「……ラグが?」
「ああ。彼の『マッドショット』の泥を『みずでっぽう』で固めて、地図の周囲に張り巡らせておったのじゃよ。かなり硬くて軽い衝撃ではびくともしない上、スズは怒るとああなってしまうのでの。わざわざラグのバリケードを破ってまで地図を壊そうという輩は、今までおらんかったのだが……」
 スズは怒るとああなる……。
 その台詞に、先ほどのスズの形相が思い出された。
(確かに、進んであんな状態の彼女に会いたい思う奴はいないだろうな……)
 ようやく事情が飲み込めたモモはゆっくりと首を(めぐ)らせると、スズが走り去った方角を見て――。

 どぉぉぉん!!

「きゃぁぁっ!?」
 突然そちらから響いた爆発音と、それを聞いてミゾレが上げた悲鳴に思わず首を竦めた。
「いかん、誰かがスズを刺激してしまったようじゃな……」
 ジュジュの呟きに、ミゾレがおたおたと顔を左右させる。
「きっとイディくんかクロくんだよぉ……。ジュジュじいちゃん、どうしよぉ?」
「と、取り敢えず、様子を見に行ってみるかの……」
「でも、私達あんまりバトル得意じゃないよぉ?」
 恐らくミゾレは何も考えずに焦っているだけだが、ジュジュには内心がある。それに気づいて、モモは思わず苦笑いしてしまった。
(私も、出来れば関わりたくはないんだけどなぁ)
 それでも、ここで何事もなかったように探検を続けるのもナンセンスというものだ。
 乗りかかった船、腹をくくるしかないようである。
「……分かった……私が一緒に様子を見に行く」
 モモがそういうと、ほとんど泣きそうだったミゾレの顔がぱぁっと輝き、ジュジュは明らかに含み笑いをした。
(ったく、何やってんだ私……?)
 そう思いつつも、スズの後を追うことになってしまったのである。




 さて、何故爆発音がしたかというと。
 モモ達と(一方的に)別れ、走っていくスズの目の前を、偶然イディが通りかかった。
「れ? スズ?」
 スズを見つけたイディは、そのただならぬ様子に、一瞬で彼女が大変ご立腹なのを理解する。
「おい、イディ!! あんた、あたしの地図壊しやがったりしてないよなぁ!?」
「……あのさぁスズ、冷静に考えてみろよ。お前そうやってみんなに聞きまわってても(らち)あかねぇだろ?」
 だからさ、その怒りをちょーっと収めてから犯人探ししようぜ――
 そう続くはずだったイディの台詞はしかし、スズの『オーロラビーム』に遮られてしまう。
「うわっ」
 慌てて避けるイディ。
 そして彼は、自分がかえってスズの神経を逆なでしてしまったことに気付いた。
 今までずっと逃げるばかりだったので、たまには説得を試みようとしたのだが……見事に逆効果。
「ちょっ、スズ、たんまっ、待っ」
「『オーロラビーム』!!」
「うわーっ!!」

 こうして爆発が起き、スズとイディのバトルが、モモ達の知らないところで勃発していた。


「ったく、何でこーなるんだよ!!」
 木立の中でそう叫びながら、イディはスズの『オーロラビーム』を巧みに避ける。イディにはあまり効果のない氷タイプの技とはいえ、怒り心頭のスズが全力で放っている技だ、当たれば当然無傷では済まない。
 だが、逆に言えばその分彼女は我を失っており、技のコントロールに欠けている、ということだ。軌道が分かりやすいので、避けるのはそれ程難しくはない。
 ……と、思っていた矢先だった。

「うわ!?」

 『オーロラビーム』を避け、木の後ろに回り込んでから、イディは自分の行動を後悔した。
 目の前にあったのは、崖だった。とても高い、というわけではないが、高さは目測でイディの身長の5倍ほど。彼が登るのには、きついものがある。
 イディは、避けやすい『オーロラビーム』に見事に誘導され、崖に追い詰められてしまったのだ。
 逃げ場は、なかった。
「やっべぇ……」
 スズの戦闘センスを甘く見たことを後悔するが、もう遅い。

「覚悟しな、イディ! 『ハイドロポンプ』!」

 スズ渾身の『ハイドロポンプ』がイディに迫り――
「みすみす食らって堪るかよ!」
 イディが発動した『まもる』によってその軌道をそらされ、空へと打ち上げられた。
「っ!?」
「今だ!」
 彼女の注意が、『ハイドロポンプ』の水へと向けられた一瞬を、イディは逃さなかった。
 手足と頭、尻尾を甲羅に引っ込めると、『こうそくスピン』でスズへと突進する。
「こっちこそ、みすみす食らったりはしない!」
 スズは、体の力をふっと抜いた。
 イディがそれを不思議に思う間もなく、次の行動に移る。
 彼女の姿が、水になって周囲に飛散、掻き消えてしまったのだ。何が起こったのか、イディは一瞬で理解する。
(『とける』か……!)
 『こうそくスピン』は水を弾きながら突っ切る。当たる対象を失ったイディは、止まることなど出来なかった。何かにぶつかるまで、回り続けるのだ。
「やべ……!」
 イディの正面には、大木。
 慌てて技を解き、甲羅から頭と両手両足を出すが、『こうそくスピン』でついた勢いは消える様子を見せなかった。
(ぶつかる……!!)
 『みずでっぽう』の推進力で逆方向に飛ぼうにも、もう余裕がない。
 イディは『からにこもる』で防御体勢を取り――
「『マッドショット』!!」
 突然飛んで来た『マッドショット』が木に大量にぶつかり、泥で即席クッションを作った。
 その中に見事に激突し、イディは泥と共に木から滑り落ちた。
 すぐ、彼はその中から顔を出す。
「ぶはぁ! 危なかった……!」
「ちょっとどいて」
「?」
 イディとスズの間に立ちふさがったのは――他でもない、モモだった。
「モモ!?」
「ギリギリ間に合った? いつもはスズから逃げてるのに、なんで慣れないバトルとかしようとするわけ?」
 本当に呆れかえった声を出すモモに、イディは「うるせぇ、んでそんなこと知ってんだ」と言ってそっぽを向いたきり、黙ってしまう。
「ミゾレに聞いた。あんたが目の前にいるだけであの状態のスズはますますキレるのに、どうしてバトルするかな」
 まぁいいか、とモモはスズに向き合う。
「ちょっと本気出さないと……マズい、か」
「何ごちゃごちゃ言ってんだ!?」
 呟くモモと、叫ぶスズ。2体は睨み合ったまま、しばらく動かなかった。

「ふぅ、はぁ、ふぅ……イディ、くー……ん……」
 全速力で走ってきたのだろう、息を切らせながらようやくミゾレがモモに追いついた。
「だ、大丈夫、だったぁ……?」
 声がいつにも増して弱々しい。聞きながらその場に座り込んでしまうその様子は、お前こそ大丈夫かと訊き返したくなるほどだ。
「えっと……モモ、ちゃん、は……」
 イディは、その質問には答えなかった。というか、耳にも入っていなかったのだろう。
 彼は、モモを見ていた。
 今までに見たこともないほど、暗く強い光を秘めた、モモの瞳を――見ていた。
 強いていうなら、最初に出会ったときのような顔。
 でも、その時よりも、何というか――剥き出しなのだ。
 感情が、闘志が、それに……殺気が。
 スズも、それは感じていたらしい。モモが動くより早く、スズが動いた。
「『なみのり』!!」
 彼女のその声に呼応して、背後の地面が軽い地割れを起こしたかと思うと、水がどっと噴き出した。
 海が近いせいなのか、その水量はかなりのものだ。スズの尻尾の一振りに応じて、その水は集まって波を作り、一斉にモモに襲い掛かる。
「モモ!」
「モモちゃんっ!!」
 二人分の悲鳴が、重なる。
 しかし、モモは避けなかった。ただ、波に備えて少し体勢を整える。
 ざぶん、と豪快な音を立て、大波がモモを飲み込んで――。

(これはさっきの教訓。波の勢いそのものに押されちゃ意味ないからな。たとえ――)
 例え、自分の特性が水技を無効にする『ちょすい』であっても……油断は禁物。

「っ!!?」
 波が引いてもなお立っているモモを見て、スズはさすがに驚いたようだ。
 当然といえば当然だろうか。普通の野生のポケモンは、相手の特性まで考えて行動などしていない。
(今度はこっちの番だ)
 スズに驚きから立ち直る暇を与えずに、モモは今度は自分から動いた。
 自分の周囲に冷気を発生させ、それを凝縮して、光線としてスズに発射する。
「『れいとうビーム』!」
 すかさず、スズは『とける』を発動、『れいとうビーム』をかわそうとする。

 ――しかし。
「私から逃げられると、本気でそう思うのか?」

「っ!!?」
 『れいとうビーム』がスズの足を凍りつかせ、彼女は溶けかけた体勢のまま、動けなくなったのだ。
 スズは必死で身じろぎするが、どう足掻いても氷から逃れることが出来ない。
 モモは数歩スズに近づくと、動けない彼女に『れいとうビーム』をもう一度、二度と容赦なく叩き込む。
 遂にスズは、全身が凍り付いて動けなくなってしまった。
「っ、スズ!!」
 思わず叫んだイディを一瞥し、モモは尻尾を一振りする。
「あんたはどっちの味方なんだ」
 そして、氷の中で動かないスズの元へと歩いていった。

 そんなモモを、ミゾレは驚きから目を見開いて見ていた。
 もう体の自由を奪われた相手を、完全に動けなくなるまで更に攻撃し続ける。
 島のポケモン達がお人好しなだけなのかもしれない。かもしれないが、そうやって戦うポケモンを、ミゾレは生まれて初めて見たのだ。
 そして、純粋に、怖いと思ってしまった。無情に戦い続けた、モモのことを。
 自分がそう思っていたのに気づき、ミゾレは、違う、と思う。
 そうじゃない。モモが怖いだなんて、そんなはずはない。
 もし、最初にモモと出会った時、彼女にずっと付き添っていなければ、彼女に対する怖さを打ち払うのをやめたかもしれないけれど。
 ミゾレは、知っているから。
 あの日、自分に抱きしめられ、「あたたかい」と言って、ぽろぽろ涙を零したモモを。 

「さて、と」
 氷付けのスズの前に立ち、モモは軽く飛び上がると、尻尾を思いっきり振り、氷にぶつけた。
「『たたきつける』!」
 それを繰り返すうちに氷は砕けていき……やがて、スズの頭が氷の上から覗いた。
「……うーん……?」
 スズは何度か瞬きをして、意識をはっきりさせようとする。それから、モモの方を見て首をかしげた。
「えっと、あたし……」
 言いながら、思い出したようだ。スズが何か続ける前に、モモが言った。
「頭冷えた?」
 確かにさっきまでの、大技をぶつけても有り余るような怒りは収まっている。氷付けになり、一度意識が途切れたせいだろうか。
「冷えたっちゃぁ冷えたけど……でも、あたしの地図壊した奴を許したわけじゃ――」
「分かったから、その前に氷を溶かすの手伝って」
 モモはその言葉と共に、再び『たたきつける』の体勢をとった。
 そんなモモを制止するように、スズは首を小さく振る。
「モモ、ちょっと下がってて。――はぁ、頭冷えたら脱出方法すぐ思いついたし……」
 自分自身に苦笑しながら、スズはモモが自分からだいぶ距離をとったのを確認する。
 そして、『アクアリング』をかけた。
 本来なら、水で出来たリングで自らを囲むことで体力を回復する技だが、今回はその使用法が少し違う。
 スズの体表からリングを作る為に弾けた水が、氷を内側から突き破り、跳ね飛ばしたのだ。
 彼女と距離を置いていてもなお飛散した氷の(つぶて)を、モモ達は慌ててかわした。当たったところでダメージは受けないが、痛いものは痛いのである。
「よし、脱出成功!」
 そう言ってフフ、と笑ったスズは、どう見てもあの荒々しいシャワーズと同一人物だとは思えない。
 そのあまりの変わりように溜息をついてから、モモは問い掛けた。
「で、スズ。あんた、手掛かりも何もなしに犯人を捜してたのか?」
「だぁって、怒ったあたしにそんなん考えるような余裕なんてあるわけないじゃん!」
 他人事のようにそう言って、スズは開き直る。
 もう一度溜息をついて、モモはスズの地図のあった場所に戻ってみることを提案した。
「え? 何で?」
 スズだけではない、イディやミゾレの顔にも「?」マークが浮かんでいる。
「何で、って……。戻ってみないことには、犯人の手掛かりも何もあったもんじゃない」
 それだけ言って、モモはすたすたと泉の方向へ歩いていった。スズとイディが一拍遅れて追い、更に一拍遅れでミゾレが慌てて歩き出す。
「わっ、ちょっと、みんな待ってよぅ〜!」




 泉の側まで行くと、ラグがなにやらのそのそと動き回っているところだった。
 モモ達に気付き、ラグは顔を上げて声をかける。
「あっ、みんな!」
 その顔は――顔だけじゃない、よく見ると体中、ラグは泥だらけだった。
「ラグ、何やってんだ?」
 イディの問いかけに、ラグは照れ臭さと申し訳なさがあいまったような、妙な感じの笑顔で応じる。
「あ、うん……。地図を囲ってた泥だけでも、撤去しとこうと思って」
 スズが最後に見た時には泥だらけのごちゃごちゃで、何が何だか分からなかった地図の残骸は、泥を綺麗に落とされ、木の枝は木の枝、小石は小石、ときちんと分類して地面に置かれていた。
「いくつか、折れちゃって使い物にならなさそうな枝はどけちゃったけど、他の地図の部品は全部残ってる……と思う」
 その『部品』の多さは、今までスズが作ってきたものの大きさ、そしてそれをいちいち泥の中から取り出して綺麗に分けたラグの苦労を物語っている。
「ラグ……ありがとね」
「ううん、いいんだ。どっちみち、僕が悪いのに変わりはないし……」
 首を左右に振ってスズは笑ってみせたが、これからまた地図を一から作り直さなければならないという、落胆の色は隠しきれていなかった。
 それまでずっと黙っていた、モモが口を開く。
「……手伝う?」
「?」
 モモの言葉の意味を掴み損ね、スズは訊き返した。
「それ、どゆこと?」
「地図を元に戻すの、手伝う。今日歩いてきた場所……島のほんの一部分だけだけど、大体は覚えてるから。私も島を見て回りたいし、それだったら2人でやったほうが早い。だろう?」
 モモが島を見て回りたい理由は、最初と変わっていなかった。島のポケモンを信用しきっているわけでもないから、だ。
 けれど、どうせ同じように島の地形を覚えていかなきゃならないのなら――。

 誰かの役に立ってもいいかなと、素直にそう思っていた。

(何でこんなこと考えてるんだろ……)
 スズは、目をぱちくりさせてしばらくモモを見た後、ぷっと吹き出した。
「ったく、モモったら……最初に会ったときから日に日に別人になってくんだもん、なんかびっくりしちゃった」
「そう?」
 言われた当人が本当に不思議そうに首を傾げるので、スズの笑いがミゾレ達にも伝染してしまう。
 ひとしきり笑った後、モモが機嫌を損ねてしまうのではということにようやく思いが至り、スズは笑いを収めた。
「うん、手伝ってくれるっていうその気持ちは嬉しいんだけど……やっぱり、いいよ。あたしがまた作り直す」
 泉を囲う木立のその向こうに、スズは目をやる。
「あたしね、この島が大好きなんだ。だから、大好きなもののこともっともっと知りたくて、島の地図を作ろう、なんて突拍子もないこと思いついたんだよね」
 彼女の瞳は木々を映して、不思議な色合いを帯びていた。
「外周をぐるっと泳いで回ったり、小さな洞窟や林を見つけて探検してみたりして。そうやってこの島のことを知って地図に描き加えていく度に、どんどん楽しくなっていったんだ」
 木立に向けられたスズの瞳はあらぬ方向を見ているようで、実は沢山のものを見ているのかもしれない。
 今まで見てきたこの島の全てが、今スズには見えている――。
 そんな風に、モモには思えた。
「だから……ってわけでもないけど、あたしはこの地図、自分ひとりで完成させたいんだ。――でも、ほんとにモモの気持ちは嬉しいな。あんたがそういう風に考えられるようになったってことだしね!」
「別に私は……」
 反論を試みるモモをあっさりスルーして、スズの話すことは別の主題へと移る。
「結局、犯人は誰だったのかなー……」
「それは僕もちょっと気になるけど――」
 ここまで来たら、もう不問ってことでいいんじゃないかな?
 そうラグが続けようとした、その時だった。

 ガンッ、どさっ、という大きな音がして、モモ達の視線の先からラグが消えた。

 ――いや、正確には、ラグがひっくり返ったのだ。
「いてててて……な、何だぁ?」
 ラグが上半身を起こして、一瞬前まで自分が立っていたところを見る。
「あぁぁぁ、また地上に出てしまったぁ……なんでボク、こんな穴掘るの下手なんだろ〜……」
 そこにいたのは、1匹のディグダだった。
 大きさは丁度モモの半分ほどだが、あの大柄なラグをいとも簡単にひっくり返したということは、その力は並大抵ではないだろう。
 ディグダはひとしきりぼやいてから辺りを見渡した。そして、ようやく自分を取り囲んでいるポケモン達に気付いた。
「あれ? あなた達、は……」
 それから、やっとのことで自分が地上に出た際に、ちょうどラグの真下に出てしまい、彼を転ばせてしまったことまで思い至ったようだ。
 火が点かんばかりの勢いで謝り始めたディグダを宥めるのに、ラグ、スズ、ミゾレの3体は言葉を尽くすのだった。
 ちなみに、それをイディは横からおろおろと見ており、モモは興味なさげにそっぽを向いていた。



「えーと、つまり整理すると、あんたはこの島の地下に住んでる、ダグトリオの群れの一員な訳ね?」
 スズの言葉に、「そうです」とディグダは頷いた。
 ようやくディグダが落ち着いてから。どうして、皆が見覚えのない彼がこんなところにいるのか、不思議に思ったラグが問いかけてみたのだ。
 彼が言うには、この島の地下には代々ダグトリオの群れが暮らしている。彼らはほとんど地上に出ることはないので、昔はあった地上のポケモンとの交流も途絶えてしまった、ということらしいのだ。
 確かに、モモは兎も角としても、ミゾレ達は、このディグダやダグトリオの群れのことを聞いたことなどなかった。だが、そのディグダは現に皆の目の前にいるのだ、信じがたいが信じざるを得ないだろう。
「んで……どうしてあんたはここにいるの?」
 スズの質問に、ディグダは照れたような笑いで応じた。
「実はボク……穴を掘って進むのがものすごく下手で……妙に力が入りすぎちゃうんですよね。それで、たまに地上に出ちゃうこともあって……」
 きっと、それで前回もここに出てしまったのだろう。
 そう、スズの地図の真下に。
 ラグがひっくり返るほどのあの力に加え、その泥はまさか地図の下まで覆っていたわけではないだろう。地図が壊れてしまうのは、容易に想像できた。
 ミゾレがそっとスズの顔色を窺う。
 が、意外にも、スズは怒りの色を表してはいなかった。ただ、にっこりと笑ってディグダを見ていた。
(きっと地図のこと追及したら、さっきの勢いで謝られちゃうしなぁ……宥めるこっちが大変だし。それに…………)
 もう一度作る、ってそう決めたら、何だかすっきりしちゃったよ。
 スズがそう考えているのを、勿論他の誰も知るはずはなかった。




「なぁ、ミゾレ」
「ん? なぁに?」
 その日の夕方。モモ、ミゾレ、イディの3体は、それぞれの寝床に帰るべく一緒に小道を歩いていた。
 先にすたすたと歩いていってしまうイディと充分離れたのを確認してから、モモはミゾレに話しかけた。

「ラグとユズって、どういう関係だ?」

 ……しかもド直球。デリカシーも何もあったものではない。
 その手の話題が苦手なのか、当事者でもないのに少々顔を赤らめながら、ミゾレは素直に頷いた。
「よ、良く気付いたねモモちゃん……。うん、正確じゃないかも知れないけど、2人にはそういう噂があるんだよね。でも、どうして……?」
 そう問うと、モモは明らかに面倒くさそうな顔をする。元々饒舌ではない方なのだ、口で他人に説明するのは苦手なのだろう。
 それでも、モモは口を開いた。
「まず、ラグは、壊したら命の保障なんか出来ないスズの地図の見張り役を引き受けている」
 命の保障なんか出来ない、という表現が決して誇張でないのは、ミゾレもよく承知していた。なので、苦笑いで応じ、モモに先を促す。
「それに、地図の泥をきちんと落として部品に分けるなんていう、軽い気分でやっていたら絶対終わらないようなことも進んでやっている。相手に対する好意がなきゃ、まず出来ないだろう」
 だから、最初はラグはスズが、スズはラグが好きなのか、とも思ったが、色々あるうちに違うんじゃないかと彼女は考え始めたのだ。
「多分、ラグは自分が本当に好きな人の地図を守っていたんだったら、もっと行動に出たと思うし……何より、もしスズが本当にラグが好きだったら、地図を壊された時点でまずラグを攻撃してたんじゃないかと」
「あはは……そうかもしれないねぇ」
「だから、ラグが通常以上の好意を持てるが、それは恋愛感情じゃない……それはきっと、ラグが本当に好きな人の家族、だと思っ――」
 モモの言葉は、そこで途切れた。
 家族。口にしてみれば簡単な言葉なのに、口にした瞬間何かが引っかかった。
 ……全て忘れてしまったけれど、自分にもちゃんといたはずなのだ。両親が、もしかしたら兄弟が。
 そんな実感はちっとも湧かないので、思い出せないことを寂しいとも辛いとも思わないけれど、引っかかりは取れなかった。
 モモの様子を察してか、ミゾレが無理に明るい声を出し、話を戻そうとする。
「それで、ユズちゃんまで考え付いたんだね? すごいね、モモちゃん!」
 その言葉にモモも幾分か調子を取り戻し、話を続けた。
「スズの家族で、ラグが惚れても不思議なさそうな相手……そこまで考えて、ユズに辿り着いた」
「そっかぁ……」
 恋愛模様ですら理論的に解こうとしてしまうモモに、ミゾレはただただ驚嘆するだけだった。
 それから、視線を自分達の前を歩くイディへと移す。ミゾレのその行動に気付き、モモもイディの後姿を見た。
「ただ、スズの気持ちの方は分かりやすかったかな……」
「うん……本人は誰にも気づかれてないと思ってるけど、島のほとんどの女の子は知ってるんだよねぇ」
 一度キレたスズが、イディを目の前にしてますます怒る理由。
 もしかしたらその怒りは、素直になれない自分への怒りなのかもしれない。
「可愛さ余って憎さ百倍……ってやつか?」
「ほら、小さい子って好きな子いじめたりするでしょ。あれと同じ……なのかなぁ?」
「まどろっこしい」
 本当に苛立ったような顔をしてモモがそう切り捨てるので、ミゾレは思わず噴き出してしまった。
 流石に笑い声は聞こえたのだろう。イディが立ち止まって振り返り、怪訝そうな顔をした。



 さて。その頃。
「さぁて……いつまで待ってれば良いのかのう……」
 陸を歩くことが出来ないため、「ここで待ってて!」とミゾレに言われて川の中流に一人取り残されたジュジュ。
 のんびりと大あくびをするその様子は、待ちぼうけ食らってるこの状況を楽しんでいるようでもあった。
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送