「あら、これくらいのことも出来ないの、モモちゃん? やっぱりちっこいって不便ね」
「うるっさい! 図体ばっかでかいあんたに言われたかない!」
「〜〜〜っ!! く、悔しかったらここまで来てみなさいよ!」
 なおも沖合いからぎゃあぎゃあと届く言い争いを止める気は、もう数日前に失せている。マナは溜め息をつくと、諦観をいつも通り決め込んで砂浜に寝そべっ た。
「……まーたやってるわけね、あの二人は」
 ランターンの雌――シャインが、マナの側にやって来て言う。彼女は、青ではなく紫色をした珍しいランターンだ。
 マナとシャインの目の前では、モモとミロカロスの雌、ルーンが遠泳競争を繰り広げていた。体格が大きい(モモ曰く、図体がでかい)故に体力のあるルーン と、小柄(ルーン曰く、ちっこい)故に小回りの利くモモと。
「……でも、あの二人の戦いにそんな分析は不要ね。単なる子供(ガキ)の喧嘩じゃないの」
 シャインはそう言うと、ひれで支えていた体をぺたんと地に押し付け、目を閉じた。――眠る気満々である。
 不要と言いつつ分析をするところがシャインらしいな、とマナは思った。冷静で、思考することで結論を導くのが上手い。
 ――その結論が、『単なるガキの喧嘩』なのには失笑を禁じえないが。
「今日は、ルーンが勝つかしらね」
 片目だけ開けて、マナを見上げるシャイン。
「遠泳に、小回りは要らないもの」
 そりゃそうだ。
 ルーンは一人ですいすい泳いで行ってしまっている。砂浜からでも、その様子が判別できた。しかし、モモの姿が見えない。水中にもぐっているのだろうか、 あるいはルーンの言うように小さすぎて……。
 そこまでで、マナは考えるのをやめた。自分はあんまり思考するのには向いてないな、と思う。自分だけじゃない、ポケモンは大抵そうだ。シャインのような タイプは、かなり貴重種といえる。
「あーあ、私も寝よっかな。何か、二人でラグになったみたいだけどね」
 ラグというのは、島の奥にある泉の傍に住む、ラグラージの雄のこと。暇さえあれば、そこで眠ってばかりいるのだ。
 マナがルーンのはるか後方に目をやると、昼間でも目立つちかちかした光が宙にあるのが分かった。バルビートのゼウルの『ほたるび』だ。どうやら、彼がい る地点がゴールになっているようだ。
「ゼウルまで動員されてるわけね……何やってんだか」
「だから、ガキの喧嘩をやってるんでしょ」
 冷めた声でそう言い、シャインは今度こそ本当に目を閉じた。
 一緒に眠ろうとシャインに身体を寄せたマナは、シャインの背中に走る傷跡にどきりとしてしまう。見慣れてはいるけれど、やはり気になるものは気になる し、見ていて痛々しいのは変わらない。多くを語らないシャインからは、何も教えてもらってはいないけれど……。

 ざばん!
 水面から顔を出し、サウスは一つ息をついた。
「ったく、スズの奴、いくら水に溶けられるからってあんな悪趣味に驚かすことないだろー……」
 双子のシャワーズの妹に口の中でぶつぶつ文句を言いつつ、サウスは島を振り返った。だいぶ離れたところまで泳いできてしまったようだ。
 そろそろ帰ろう――そう思いつつ島の方を見て……全速力で向こうから泳いでくるルーンを、視認した。
 ……え? ルーン? 全速力!?
「サウスーっ! どきなさーいっ!!」
「え? え? えぇっ!?」
 サウスのことに気付いても一向に減速する様子のないルーンに慌て、サウスは彼女の進行方向からさっと身を引く。彼の鼻先を、ルーンの体がかすめて通り過 ぎて行き……。
(あれ?)
 ルーンの上に、誰かが乗っているのを見つけて。
 それが、他でもないモモだということに気付いて。
 サウスは、しばし言葉を失った。
(どういうことだ? モモと競争してるんじゃないのか……?)
 ルーンの上のモモを、ルーンの動きに合わせて凝視しているうちに、サウスはふとモモの足元に目を留めた。
 彼女の足元が、水とはまた違った輝きを放っている。
 あれは――氷の、輝き。
「氷??」
 サウスは、苦手な考え事を一生懸命頭の中で組み立てた。
(モモはルーンの上に乗ったんだけど、手のない身体でバランスを崩さないために足場が必要だった。だから、ルーンの背に触れている海水の一部を『れいとう ビーム』で凍らせて、その上に乗る。丈夫なうろこと勝負に集中しているせいで、ルーンは気付かない――)
 彼の考えに付け足しをするなら、その氷は、海水によって徐々に溶かされていく。丁度ルーンがゼウルのいるところに到達するあたりで、氷は完全に溶けき る。なので、ルーンがゴールするまで持つ量の氷を、モモは作り出していたのだ。
 と、モモが動き出した。氷の上からぴょんと飛び上がると、ルーンの背を駆け抜け、一直線に頭のほうへと向かう。
 ルーンがゼウルのところにあと少しで到達する、というところで、彼女の頭を踏み台にして一気に跳躍、ゼウルへと跳んだ。
「痛っ! ――って、モモ!?」
 ルーンの驚いたような声。
 ……しかし、モモは一つ誤算していた。自分の身体を覆う粘膜について、全く考慮していなかったのだ。
 結果、モモは足を滑らせてしまう。
「あ、危ない!」
「こら、反則よ!」
 空中で変な向きに回転がかかってしまったモモと、彼女を助けようと急降下したゼウルと、モモを引き戻そうと伸び上がったルーンと。
 ごん、と鈍い音がした。
 そして、三人分の水しぶき。
 関係ないのに巻き込まれた、泳げないゼウルに合掌。
「――――じゃない、助けに行かなきゃ!」



「全く、何を考えてるのあなた達は!」
 サナの怒声に、モモもルーンも返す言葉がない。普段おっとりしているだけに、声を荒らげる今の彼女にはものすごい剣幕があった。
「あなた達が仲が悪いのは分かってるし、喧嘩するのも勝手よ。でも、それに他人を巻き込んでいいと思ってるの!?」
 サナの語尾にエクスクラメーションマークが付く度に、びくっとして首をすくめる2人。
 少し離れたところからその様子を見ていたサウスとゼウルは、顔を見合わせて苦笑いをした。
 勿論、ゼウルはモモとルーンを責める気は毛頭ない。だが、ああ見えて意外と正義感の強いサナは、どうやら許せなかったようである。
 ただ、彼はサナがあそこまで怒るもう一つの理由を知っていた。
 サナは、モモとルーンが関係ない者を巻き込んだから、だから怒っているのだ。

 ――この島には、島に元々住んでいたポケモンと、大陸から様々な方法でやってきたポケモンとの2種類がいる。マナやルーン、ジュジュなどは前者、サウス やゼウル、サナ、勿論モモも後者だ。
 後者の場合、記憶喪失というモモの特殊な場合を除いても、ほとんどが島に来る前の過去を他のポケモンに知られていない。ただ、ゼウルとサナは、フライゴ ンのトキやエーフィとブラッキーのシロ&クロ姉弟と一緒に来たので、それぞれがお互いを昔から知っているのだ。
 だからゼウルは、サナが怒る本当の理由を、隅から隅までちゃんと知っている。知っていた上で彼女を過去から救ってやれない自分に、歯がゆさを覚えなが ら。



「いい夜だなー!」
 その夜。ゼウルに連れられて、モモは島の南海岸へと歩みを進めていた。ゼウルは上機嫌に、モモの周囲をぶんぶんと飛び回る。そんなんだから、正直いって 歩きにくいモモだった。
「天気もいいし、新月だから星が良く見える! 『あれ』やるには最高のコンディションだな!」
「いや、だから『あれ』って何?」
 さっきから、モモはそれを問い続けているのだが、ゼウルは「着いてからのお楽しみ!」の一点張りで、一向に教えてくれる気配がない。
 結局、モモはゼウルに付いて行くしかないのである。
「着いた着いた! ほら、みんな集まってるぞ!」
 二人は、島の南海岸に到着した。確かに、島のポケモン達が沢山集まっている。中には、モモと面識のない者も多かった。
 一番最初にモモに気づいたマナが、片ひれを上げて彼女に呼びかける。
「あ、来た来た! モモ〜!」
 どこに行けばいいのか分からなかったモモは、取り敢えず声をかけてくれたマナの側に寄っていく。
「あのさ、マナ。これ、一体何の集まり?」
「あ、やっぱりゼウルから教えてもらってない? 彼、サプライズが好きだからな〜……。ほら、始まるよ。空、見てみな」
 言われるがままに空を見上げると、いつの間にかゼウルが空にいた。かなり高いところまで飛んでいるのが、地上からでも分かる。
 そして彼は、上空で『ほたるび』を発動すると、まるで星の間を縫うようにして飛び、空に光の軌跡を残し始めた。
「わぁ……」
 ゼウルの光と星の光が、イルミネーションのような輝きを空いっぱいに放っている。思わず、モモは感嘆の声を洩らしていた。
「どう、すごいでしょ? ゼウルはこんな天気のいい夜には、ああやって光の芸を見せてくれるのよ」
 いつの間にかサナが隣にやって来ていた。
「隣、座ってもいい?」
 特に断る理由もないので、モモは黙って頷く。
 サナはにっこり笑って、モモの側に腰掛けた。
 ゼウルの光は、クライマックスに向かって空の高みへ高みへと伸びていく。
 少しの間、モモは居心地悪そうにしていたが、やがておずおずとサナの名を呼んだ。
「あの……サナ、ねえ……?」
 サナは一瞬きょとんとした顔をして、それから微笑んだ。
「そう呼んでくれて、構わないわよ」
「あの、サナねえ、さっきは……」
 モモの台詞にかぶせるように、サナは言った。
「それは、私じゃなくてゼウルに言うべき言葉じゃない? あとで、ちゃんと謝っとくのよ」
 その言葉に、知らず知らずモモは頷いていた。
 サナの優しさは、マナやゼウルのそれとは少し違う。もっと大きくて、もっとふわっとした、上手くいえないけれどそんな感じの――。
 そんな優しさが、モモには嬉しいというよりくすぐったかった。それが、何だか慣れないものだったから。
 ゼウルは、上空で三重に光の輪を描くと、その中央から空に向かって『シグナルビーム』を放った。『シグナルビーム』は四方八方に飛び散り、光の軌跡を残 しながら消えていった。
 誰かが、ほうと溜息をつく。何度も見ていても、その美しさには全く飽きなかった。
 そして、それを初めて見る唯一のポケモン――モモは、どこか焦点の合わない瞳で空を見ていた。
 何か考えているようでいて、その思考は空回りしている、そんな感じ。
(……前、にも……こんなのを、どこかで…………)
「っ!?」
 そこまで思いが至った瞬間、モモは激しい頭痛に襲われた。耐え切れず、その場にうずくまる。
 誰かに名前を呼ばれた気がしたが、それはとても遠くに聞こえた――。

 頭の中で、色々なビジョンがぐるぐると回る。そのスピードがあまりに早すぎて、何が映っているのか全然分からない。
 しかし、その中で一つだけ、断片的にだが鮮明に感じ取れるものがあった。
 沢山の人々と、彼らの作るざわめき。夜の暗闇の中、そこだけ明るく浮かび上がっている。空に上がる、綺麗な光。そして、自分を抱き上げている誰かの声。
『ほら、あれがハナビよ、綺麗でしょう?』
(これは……これは、何? 私、の……失った、記憶……?)
 自分に全然覚えがないけれど、自分が確かに体験したことの、記憶。
 それを見続けることが、モモには耐えられなかった。その気持ちは、自分の知らないものを兎に角怖がる子供のそれに近かったかもしれない。
 そうだと思っても、恐怖は消えない。モモは、この記憶の洪水から逃れたかった。

「……も…………もも……」

 ふと、その映像に全くそぐわない声が届いた。
(誰かが……呼んでる……?)

「も……モモ……」

 間違いない、誰かがモモを呼んでいる。しかも記憶の中でなく、今この場で。
 声のした方に、モモはがむしゃらに手を伸ばそうとして、ウパーである自分に手がないことに気づく。けれど、その方向から光が差してきて、モモを包み込み ――


「モモっ!!」
 ゆっくり目を開けると、眼前に心配そうなマナの顔があった。
「だ、大丈夫!?」
「ったくもう、心配かけないでよ!」
 口々に、皆が声をかけて来る。その中にはルーンの姿もあって、モモは思わず苦笑した。
「うん、大丈夫……」
 そう言って、モモは立ち上がった。サナがひざを折ってしゃがみ、視線をモモに合わせる。
「モモ……一体、何があったの?」
 目を伏せて、彼女は首を横に振った。
「何でもない。ちょっと、疲れ溜まってたのかも……」
「本当?」
 じっと見つめてくるサナの前でこれ以上嘘をつき続ける自信が、モモにはなかった。
「ほんとに大丈夫だから! ほっといて」
 そう言って、逃げるようにサナ達に背中を向け、歩いていってしまった。
 マナが苦笑して、モモの後姿を見ながらサナに話しかける。
「ったく、態度の悪さは相変わらずだけど……顔色も良かったみたいだし、取り敢えずは大丈夫そうだね」
 その言葉に、サナは曖昧に頷いた。

 どこへともなく歩きながら、モモは胸中で首を傾げていた。
 何故だろう――?
 モモは、本当にほんの一部、ゼウルがやったような光の芸(ハナビ、と言っていたような気がする)のことだけだけれど、自分の記憶が戻ったことを、皆に知 らせてはいけないような、そんな気がしていたのだ。



 あの後、皆の元に戻らなかったので、結局ゼウルに謝ることは出来なかった。そのことにどこかで安心している自分を、私らしいと認めてやるべきか、ずるい 奴と嫌うべきかが、モモには解らない。
 岩場に囲まれた、湧水といっても差し支えないような細い小川。モモは、その小川を寝床にしていた。適度に冷たい水が、水タイプポケモンである身体に心地 よいのだ。
 溜息をついて、モモは空を見上げる。
 やっぱり、謝るべきなのかな。ゼウルにも、それからサナにも。
 そう思いつつ、彼女は川の流れに横たわり、ゆっくり眠りに落ちてゆく……。






「何でや、何で見つからんのや!?」
 茶の髪をした青年は、拳で壁を叩いた。完全に苛立っているのが、傍目からでも良く分かる。
「全く……物に当たるんじゃない、ジン。それで機材破壊したら承知しないぞ」
 彼のすぐ横の机について、パソコンに向かいキーボードを打っていたもう一人の青年が、その手を止めて嘆息と共にそう言った。黒い髪を肩まで伸ばしてお り、足元には一体のアノプスを従えている。
「しかし……目撃情報が『あの日』で途絶えているのは、確かにおかしいな……」
「そっからもう、なんも進んでへんやんか。どないすんねん、シュウエイ?」
 シュウエイと呼ばれた黒髪の青年は、しかし頷けなかった。
「いや……正直、八方塞だ。これだけ探して見つからないなど普通に考えたらありえないが……そのありえないことが起こってしまっている」
「けど、かといって投げる訳にもいかんしなぁ……ほんまにどないすんねん」
 ジンの苛立ちはまた上がってきているようだ。シュウエイは二度目の嘆息をして、再びキーボードを叩き始めた。
「取り敢えず、情報の整理だけでもしておくか……」


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