「サウス! サーウースーっ!」
「ん?」
 ここは島の南海岸。砂浜に寝そべっていたジュゴンの雄は、まどろみから覚めて顔を上げた。2回前の満月の夜、ここに流れ着いた彼には、『南(サウス)』 という名が付いている。
 サウスが声のしたほうを見ると、同じ種族の雌が、海から頭だけを出してこちらに泳いで来るのが解った。
「マナか。どうしたんだ?」
「あのね、あっちの岩場の所に、ポケモンが流れ着いて来たの!」
「……え?」
 思わず聞き返してしまってから、ようやく彼女の言葉の意味を理解する。
「僕が来て以来初めて……ってことになるのかな?」
「うん。ほら、こっちこっち!」
 マナに案内され、サウスは彼女と一緒に海へ飛び込んだ。



 岩場の近くには、すでに人だかり――もとい、ポケモンだかりが出来ていた。
「あ、マナさん!」
 マナに気付いたマリルリの雌、ミゾレが声をかける。
「どう、新入りさんの様子は?」
 そう尋ねると、何故かミゾレは困ったような表情になった。
「それが……なかなか気難しい人みたいなの……」
「は?」
 兎にも角にも、会ってみないことには始まらない。2体はミゾレと一緒に、何とかポケモンだかりの中心に辿り着いた。
 そこにいたのは、1体のウパーだった。サウスは近付きかけて、はっと動きを止める。
 冷たく敵意を剥き出しにしている、その瞳に怯えて。
 本能的に、怖いと感じた。
「……サウス、どうしたの?」
「あ、いや……何でもない」
 マナはサウスの様子に首を傾げるが、それより先にとウパーへ近付いた。サウスと違い、何の苦もなく。
「えぇと……初めまして、私はマナ。あなたは?」
 そう言って、マナは微笑んでみせる。
 しかし返ってきたのは、予想以上に剣呑な言葉だった。
「……教えてやる必要があるのか?」
 声の高さから、雌であることは解った。だが、彼女の声には触れると怪我をしそうな鋭さが込められていて、マナは彼女から威圧感にも似たものを感じた。思 わず、心持身を引く。
「ここがどこだか知らないが、私はここに長居するつもりなどない。少し休んだら、すぐ出てって――」
 だが、ウパーの勢いは長く続かなかった。
 突然ふらつくと、仰向けに倒れてしまったのだ。
 マナはそっと近付くと、恐る恐るだがひれでウパーの身体に触れた。反応はない。軽く叩いてみても、彼女は動かなかった。
「気絶しちゃった……」
 どうやら、今までずいぶんと無理して虚勢を張っていたらしい。そこまでして、自分を強く見せたかったのだろうか。
 何だかそれだけではないような気が、マナにはしていた。
「大陸からここまで、遠いものね……。体力を使い切るのは、当然だわ」
 サーナイトの雌が、いつの間にかマナの側に立っていた。
「サナねえ!」
「取り敢えず……介抱しましょうか。マナ、ミゾレ、手伝って」
「放っときゃいいんじゃないのか?」
 突如割って入った不機嫌そうなその声に、マナはきっとなって振り向いた。
 声の調子をそのまま表情にしたような顔の、カメールの雄がそこにいた。
「イディ! それは流石(さすが)にひど――」
「だってそうだろ?」
 マナの言葉をさえぎって、イディが吐き捨てるように言う。
「こいつに俺達と交流する気ないんなら、俺達がこいつを助けてやる義務なんてどこにもない。初対面の相手にあそこまで暴言吐くようなポケモンだぜ。ろくな 奴じゃねえよ」
 周囲を見渡すと、何体かのポケモンはイディに賛成だと言いたげな表情をしていた。一番始めから態度が悪すぎるこのウパーに対する第一印象は、そうとうに 悪 いようだ。
 それでも、サナは彼らの表情などものともせずに、小柄なウパーを軽々と抱き上げた。
「でも……私、やっぱり放っておけないわ」
 そう言うサナを、イディは少しの間決まり悪そうに見上げた後、そっぽを向いてしまった。
「勝手にしろ」



 誰かが、歌っている。

 聞いたことのない旋律と歌詞。

 なのに何だか、ひどく懐かしくて――。

「あ、気が付いた?」
「……」
 身体を起こし、ウパーは声の主を見る。声の主――ミゾレは、にっこり笑って言った。
「私は、ミゾレ」
「……その、歌は……?」
 そんな質問をされると思っていなかったミゾレは一瞬きょとんとして、それから苦笑する。
「この歌、いつも歌ってるんだよぉ。歌ってないと……何だか、寂しくって」
「で、気分はどう?」
 ウパーをはさんでミゾレと反対側にいたマナが、声をかける。
 警戒心を解いていないのが丸解りの様子で、ウパーはぼそっと答えた。
「……悪くはない」
 マナはため息をつく。
「そんなに警戒しないでよ。態度の悪すぎるあんたを、介抱しないで放っとけって意見もあったんだから」
 ウパーは、岩場の側の入り江の奥、洞窟のようになった空間にいた。海面が目の前まで迫っているが、入り江の辺りは深さはそんなにないらしい。適度な涼し さが、とても心地よい。
「それを助けたのよ? 少しは、警戒を緩めても……」
「……」
 不思議そうな顔を、ウパーはしていた。どうしてここまでしてくれているのか解らない……そんな顔。
 やおら立ち上がろうとして、ウパーは顔をしかめて座り込んでしまった。
 先程、気絶している間に応急措置は取ったのだが、彼女の身体にはかなりの数の傷が付いていた。ここに来る途中で、他のポケモンと戦いでもしたのだろう。 その傷が、きっとまだ痛むのだ。
「私達、あなたに攻撃したりしないよぉ……。だから……無理、しないで……」
 泣き出しそうな声でそう言って、ミゾレはウパーをぎゅっと抱きしめた。自分の思いを言葉にすることが苦手なミゾレの、一種の愛情表現だ。
 マナは、ウパーが怒るのではないかと思った。ミゾレを跳ね除けてしまうと思った。
 ――が、その予想は当たらなかった。
 ウパーはミゾレを拒否するどころか、その水玉模様の身体に顔をうずめ、肩を震わせて……泣き出してしまったのだ。
 いきなりのことに、マナは動揺して慌てて声をかける。
「なっ、ど、どうしたの!? そんなに痛い!?」
「……い……」
「?」
 嗚咽の間から、ウパーは声を絞り出した。
「……かい……あったかい…………」
 その声は、まるで寂しがりな子供のようで。
 ミゾレは、さっきよりも強く、ウパーを抱きしめた。
 さっきの威圧感はどこへやら、泣きじゃくるウパーを前に、マナは困惑を隠しきれない。
 けれど、訳が分からないままでも、マナはウパーに近付いた。
 近付いて、彼女の頭の上にひれを乗せ、ぎこちない手つきで撫でた。
 ウパーが泣き止むまで、ずっとそうしていた。

 他のポケモンたちに呼ばれて外に出ていたサナは、戻ってきて入り江の外から中の様子を伺った。
 3体の様子を見て安心したような溜め息をつき、振り返って後ろの野次馬達に言う。
「今は取り込んでるみたい。そっとしておいてあげましょ」



「覚えてる限りで……他人をあんなに温かいと思ったの、初めてだった。……何だか、ずっとそういう温かさを知らなかったように思えてきて……」
 ウパーの物言いに、マナは首をかしげた。違和感があるのは、どうしてだろう。
 そして、引っかかったことを口にする。
「覚えてる限り、って、どういう……?」
「そのまんま」
 やや不親切なウパーの答え。
 もしかして……という予感が、マナの頭をよぎる。
「あんた……名前は?」
「……忘れた」
「!!?」
 そのあまりに端的な言い方に、マナとミゾレはしばし言葉を失い、ウパーをまじまじと凝視した。
 それって、つまり――
「名前だけじゃない……。2ヶ月くらい前、満月の夜に突然目が覚めた。そしたら、自分が今までどこでどうやって暮らしてきたか、名前も、家族も友達も、何 一つ思い出せなくなっていたんだ……」
 モモがマナ達をあんなに警戒したのは、そういう訳があったからではないのだろうか? そう、マナは思った。
 自分の記憶がないというのは、自分自身すら信じられないということ。そんな状態で他人を信じろという方が、無理な話だ。
「――それは、世にいう記憶喪失という奴じゃな」
 聞き覚えのない声に、ウパーは本能的に身構える。だが、マナが大丈夫だよという風に、目の前の水面を指し示した。
「ジュジュじーさんだよ」
 海面がぶくぶくと泡立ち、やがてジーランスの雄が顔を出した。相当に高齢であるのが、傍目からも解る。
 彼は、ウパーの姿を見て明るい笑い声を立てた。
「ほほほ、元気になったようじゃな」
「も、もしかしてジュジュじーさん、盗み聞きしてたわけ!?」
 ジュジュが身体を潜められるくらいの、深い部分もあるようだ。そんなに深さはないらしい、というウパーの目測は、少しだけ外れた。
「わしだけじゃないぞ、ほれ」
 ジュジュが頭を振って示した入り江の入り口に、何体かのポケモンがいて、こちらの様子を伺っていた。サナの言葉を受け、あくまで『そっとしておいた』の だ。声はかけなかった、でも覗いてはだめとは言われていない。
 マナは顔をしかめ、誰にともなく呟く。
「ったく、油断もスキもありゃしない……」
「でも、それだけ心配されてるってことだよ、ウパーさん」
 笑顔のミゾレにそう言われ、ウパーは下を向いてしまった。その顔が僅かばかり紅潮していることに気付いて、マナも笑顔になる。
「――でも、いつまでも『ウパーさん』じゃ呼びにくいわね。何か、名前を考えないと……」
 マナがそう呟いたのとほぼ同タイミング、待ちきれなくなったのか、ルリリの雌とミズゴロウの雄が中に入ってきた。まっすぐ、ミゾレの元へ向かう。
「ミゾレー、お歌うたってー!」
「うたってー!」
 まだ幼い子供のようだ。
 2体は、ふとウパーに目を留めた。彼女と目が合うと、2体ともささっとミゾレの陰に隠れてしまう。
 先程のウパーとの初顔合わせに、2体も参加していたらしい。
「ちょっ、どうしたの? リンもロロも」
「あのおねえちゃん、こわい……」
「こわい」
「……嫌われちゃった」
 何だか他人事のようにさらりと言って、ウパーはマナを見る。その言い方がおかしくて、思わず吹き出してしまうマナだった。
「この子達は、リンとロロっていうの。ミゾレの歌が好きで、1日何度でもせがみに来るんだよね。リンはロロのお姉さん代わりみたいなもんかな。――ミゾ レ、取り敢えず歌ってあげれば?」
「そうねぇ」
 一呼吸おいて、ミゾレは歌いだした。
 高く綺麗なソプラノ。声量が大きいわけではないけれど、静かに、染み入るように通る声。
 ――懐かしい。
 そう思っている自分に、ウパーは気付いた。記憶をなくしているはずなのに、この歌を素直に懐かしいと思う。
 そして……気付くと、ウパーは歌いだしていた。
 歌詞は解らないが、旋律は覚えている。ミゾレの三度下を追いかけるパートの、旋律だけを口ずさむ。
 マナやリン達が驚くのが解った。ミゾレも驚いた顔を見せたものの、止まらずに歌い続ける。
 ウパーは、ミゾレの歌を立たせるように、深みを持たせるように歌う。
 二重奏(デュエット)が、入り江に優しく響き渡った。

「すごい、歌えるんだねぇ!!」
「意外な特技〜……」
「見事な声じゃのう」
 それぞれの反応を見せるマナ達を前に、ウパーは困惑しきった表情を見せていた。ミゾレに合わせて歌いだしたのも、ほとんど無意識だったらしい。
「え……っと、私この歌知らないはず、なんだけど……」
 そのウパーに、恐る恐るリンが問いかけた。
「お姉ちゃん……ミゾレのお歌、歌えるの?」
 ロロが、リンよりもさらにこわごわ復唱する。
「えるの?」
 復唱している場所がおかしくて、ウパーは笑いたいのをこらえながら言った。
「みたいだ」
 リンとロロは顔を見合わせ――どちらからともなく、にっこりした。
 ウパーに向き直り、リンが自己紹介をする。先程までウパーに怯えていたとはとても信じられない、明るい声で。
「あのね、リンの名前ね、リンっていうの! こっちはロロっていうの! お姉ちゃん、名前は?」
「なまえは?」
「……あー……忘れた」
 子供達にまでそんな端的な言い方をするな、と言いたげな顔をするマナ。しかし、当の子供達は、それが異常なことだというのに気付いていないようだった。
「じゃ、リンが名前付けてあげるね! えっとね、えっとね・・・流れてきたから、モモタロウ!」
「タロウ!!」
「……は?」
 何じゃそりゃ、とウパーは首を傾げる。リンはしばらくの間、自分のつけたその名前にご満悦の様子だったが、ふと何かに気付いてウパーを見上げた。
「あっ、そういえばモモタロウは男の子だったよ! じゃあねぇ、じゃあねぇ……モモ!」
「も!」
「……あのさ、『モモタロウ』って、何?」
 困ってマナに助け舟を求めるウパー。
 マナは苦笑いをしながら、彼女に説明した。
「この間、アスカが話してたんだけどね。大きなモモンの実から生まれたモモタロウが、ガーディとエイパムとネイティを連れて、悪いことをするオニゴーリを 倒して帰ってくる……みたいな話だったと思うけど」
「へぇ……」
「オニゴーリ達にネイティを易々倒されちゃって最後はガーディの独壇場になるとか、後にモモタロウはその3匹+オニゴーリで最強のトレーナーになるってオ チとか、アーボの足がいっぱい付いてたような気がするけど、まぁそんな話」
「へぇ……それはなかなか……シュールな……」
 どう反応してよいかわからないウパーだった。
 ジュジュとミゾレが、その話を受けて続ける。
「その、モモタロウが入ってたモモンの実は、川から流れて来るんじゃよ」
「きっと、モモちゃんが『流れてきた』っていうのを、そこに結び付けたんだと思うよぉ」
「……定着してるし……。まぁ、いいけどね。他に妥当な名前も考え付かないし」
 ウパー――改めモモは、周囲を見渡す。その場にいた皆が笑っていることに、その温かい雰囲気に、少し不思議な気分を覚えながら。
「じゃあ、これからよろしくね、モモ!」
 マナのその声に、モモは小さく、でも確かにうなずいた。


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